シルクロードのものがたり(6)
前回の「李陵と蘇武」をまとめるにあたり、中島敦の「李陵」を参考にさせてもらった。「山月記」・「弟子」・「名人伝」を今回改めてじっくり読んで、その簡潔で美しい文章に感服した。中島敦は明治42年(1909)に生まれ、昭和17年(1942)に33歳で没している。
彼の作品の中に、「和歌(うた)でない歌」という55編の作品がある。中島の読んだ古今東西の古典の内容と自身の気持ちを重ねた感じの、「超短い読書感想文」 のようなおもむきのものである。これを読んで感激してしまった。
29歳の時に書いたもののようであるが、これだけの古典を読破し、それを自分の血と肉として、古の賢人と一体になった、その境地に憧れの気持ちを強く持った。いくつかをここで紹介したい。
文豪・中島敦と張り合おうとの気持ちはみじんもないのだが、これを読んで、「いたずらに馬齢を重ね」という日本語が、自分に向かって迫ってくるのを強く感じる。
〇ある時はヘーゲルの如(ごと) 万有をわが体系に統(す)べんともせし
〇ある時はアミエルが如 つつましく息をひそめて生きんと思ひし
〇ある時は若きジイドと 諸共(もろとも)に生命に充ちて野をさまよひぬ
〇ある時は淵明(えんめい)が如 疑わず かの天命を信ぜんとせし
〇ある時は観念(イデア)の中に 永遠を見んと願ひぬプラトンのごと
〇ある時は李白の如 酔ひ酔ひて歌ひて世をば終らむと思ふ
〇ある時は王維をまねび 寂(じゃく)として幽葟(ゆうおう)の裏(うち)にあらなむ
〇ある時は阮籍(げんせき)が如 白眼に人を睨(にら)みて琴を弾ぜむ
〇ある時はフロイトに行き もろ人の怪しき心理(こころ)さぐらむとする
〇ある時はバイロンが如 人の世の掟(おきて)踏みにじり呵々(かか)と笑はむ
〇ある時はパスカルの如 心いため弱き蘆(あし)をば賛(ほ)め憐れみき
〇ある時は老子の如 この世の玄(げん)のまた玄空(むな)しと見つる
〇ある時はストアの如 わが意志を鍛へんとこそ奮ひ立ちしか
〇ある時はバルザックの如 コーヒーを飲みて猛然と書きたき心
〇ある時は西行が如 家をすて道を求めてさすらはむ心
〇ある時は心咎めつつ 我が中のイエスを逐(お)ひぬピラトの如く
〇ある時は安逸(あんいつ)の中ゆ 仰ぎ見るカントの「善」の巌(いつ)くしかりき
〇ある時は整然として澄(す)みとほるスピノザに来て眼をみはりしか
〇ある時は山賊多き コルシカの山をメリメとへめぐる心地
〇ある時はツァラツストラと山に行き 眼(まなこ)鋭るどの鷲(わし)と遊びき
〇遍歴(へめぐ)りていつ”くに行くかわが魂(たま)ぞ はやも三十に近しといふを
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