2022年5月30日月曜日

ガダルカナル島・梅干しのタネ

 塩のはなし(3)

人間は塩の摂取量が減ると、性欲のみならず気力と体力がすぐに減少する。ガダルカナル島から九死に一生を得て生還した兵士の証言がある。本の題名を失念したので記憶だけを頼りに紹介する。日本軍がガダルカナル島から撤退する数日前だから、昭和18年1月下旬の話だ。

昭和17年の10月ごろから、多くの日本人将兵は、飢えとアメーバ赤痢で死んでいった。塩の不足により将兵の体力・気力は急激に衰えていった。

そんな中、この兵士と同じ村出身の同年兵が亡くなった。死ぬ間際、その兵隊は次のように言った。「村を一緒に出てから、ずいぶん世話になった。俺の背嚢(はいのう)の中に袋が入っている。お前にやる。俺が死んだらその中のものを食って生きのびてくれ」

死んだ一等兵のなきがらを、ヨロヨロしながら同僚と一緒に土に埋め、その後一人でジャングルに入った。小さな袋を開けると、干からびた梅干しのタネが20個ほど出てきた。「梅干しのタネを割り、中にある仁(じん・俗称てんじんさま)を食えと言ったんだな」と農村出身のその兵は悟った。

小石で梅干しのタネを割り、中にある天神様を次々に口に放り込んだ。「20個ほどを一気に食べたら急に身体がシャキッとして元気が出てきた」とこの人はいう。

「転進」という名目で、生き残りの将兵一万余が駆逐艦でブーゲンビル島に帰還したのは、この数日後である。駆逐艦の泊地まで歩けなかった数百の将兵は手榴弾で自決した。「あの梅干しの天神様を食べたなかったら、カミンボ沖の駆逐艦までたどり着けなかったと思う」とその方は書いておられた。


子供の頃はアイスキャンデー1本が5円だったから、10円といえばそれなりの「こずかい」だった。現在では10円玉一つで買えるものはあまりない。東京駅の大丸デパートの地下で売っている「伯方の焼塩2グラム10円」は、その珍しい例である。

実家の広島県に帰省するとき新幹線を使う。大丸の地下で弁当を買う。その時ビールのつまみに天ぷら屋の売り場で、二つほど野菜の天ぷらを買う。伯方の焼塩2グラムを10円で買ってパラパラとてんぷらにかける。五分の一位を使って、残りは捨てていた。

ガダルカナルの兵隊さんの話を思い出し、もったいないことをしてはいけない、と大いに反省した。それ以来、残りの塩を財布にはさんで次回に使っている。2グラムの塩で5-6回使える。この体験から、ガダルカナルの兵隊さんが食べた20個の梅干しのタネに含まれてていた塩の分量を推測してみた。直感だが、1グラム程度の気がする。1グラムの塩が生死を分けたことなる。

伯方の焼塩10円





2022年5月23日月曜日

精力絶倫・雄略天皇

 塩のはなし(2)

「日本男児は精力絶倫」というのは、古代から近代に至るまで、外国人女性の間で評判であった。40-50年前までは、日本人の塩の摂取量が世界の民族の中でトップクラスだったのがその理由である。

男だけではない。大和なでしこも精力絶倫であった。現在の日本人男女は、ご先祖様たちの名声を落としているような気がする。残念なことだ。


雄略天皇の精力絶倫ぶりは有名だ。

童女君(をみなぎみ)という采女(うねめ)が女の子を産んだ。天皇が一夜を共にされただけで孕まれたので、天皇はこれを疑い認知せず養育費を払わなかった。この時の側近(今でいう侍従長)の物部目大連(もののべのめの・おおむらじ)という人が偉かった。

天皇が血統を保つため、多くの女性にたくさんの子供を産ませることは悪いことではない。しかし、それを認知しないのは男らしくない。女の子の顔は天皇によく似ている。周囲の人々に聞き、前後の事情を調べてみて、この女の子は天皇の子に間違いないと侍従長は判断する。そして天皇に諫言(かんげん)する。

「女の子の歩く姿を見ると天皇によく似ておられます。なぜ認められないのですか」と。

「ほかの者もそう言う。だが私と一夜を共にしただけで身籠ったのだ。一晩で子供を産むとは異常なので疑っているのだ」

「それでは一晩に何回いたされたのですか?」

「7回だ」

「乙女は清らかな身と心で一夜を共にいたしました。7回もいたされたのであれば一夜で懐妊することはあります。軽々しく疑ってこれを認知しないのは天皇として恥ずかしいことです」

天皇は大連に命じ、女の子を皇女とし、母親を妃(きさき)とした。

これは筆者の作り話ではない。「日本書紀第十四巻・雄略天皇」の箇所に書かれている。「日本書紀」は唐に見せることを意識して編纂された。よって完璧な漢文で書かれている。

「大連曰、然則一宵喚幾廻」  大連(おおむらじ)曰(まうさ)く、然らば一宵に幾廻(いくたび)か喚(めし)しや

「天皇曰、七廻喚之」     天皇曰(のたままは)く、七廻之(ななたびこれ)を喚(めしき)と

ちなみにこの女の子は、24代仁賢天皇の皇后となり、その子が25代武烈天皇であり、孫が29代欽明天皇であると、「日本書紀」は記している。この方面の研究家によると、「日本書紀はこの雄略天皇の巻十四から書きはじめられた」という。この天皇の時代から年次を記した記録が大和朝廷内に豊富に残されていた、のがその理由だという。


701年に完成した「大宝律令」を唐に持参したのは、以前このブログで紹介した粟田真人(あわたの・まひと)である。720年に完成した「日本書紀」を唐に運んだのは第九次の遣唐大使・多治比広成(たじひの・ひろなり)と思われる。

長文の「日本書紀」のこの部分だけが、一種の「ポルノ本」として、長安の上流階級の婦人たちのあいだで、手書きで回し読みされたらしい。

若い遣唐留学生が長安の都に到着すると、「来たわよ、来たわよ。倭国から精力絶倫男たちが」と、長安の上流婦人たちの目が淫乱そうに輝いた、との言い伝えがある。

最澄は39歳で真面目人間だったから、長安女性の誘惑を振り切ったに違いない。31歳の熱血漢・空海は、「日本男児ここにあり」と大活躍を演じたのではあるまいか。これは、筆者の想像であるが、別の「女好きで精力絶倫の留学僧」の名前が史書に残っている。

「入唐求法巡礼行記」は、最澄の弟子・円仁(えんにん)の十年におよぶ唐での見聞録である。この円仁も師匠の最澄と同じ超真面目人間だから、唐でしっかりと学問をおさめ、三代目の天台座主になる。すなわち、長安婦人の誘惑をふりきった。

精力絶倫和尚とは、この円仁に同行した青年僧・円載(えんさい)だ。宮崎市定氏は、「中国人の尼僧と深い関係になった。学問をせず女にのめり込んでいると知った大和朝廷は円載への留学費用(砂金)をストップした。兄弟子の円仁が、日本から取り寄せた金をねだって酒と女に注ぎ込んだ。円仁という人は優しい人だった。15年後に留学してくる7歳年下の弟弟子の円珍(えんちん・五代天台座主)にも金の無心をして、中国人女性に注ぎ込んだ」と、この女好き和尚に好意をもった表現で記している。

この円載和尚も、きっと塩辛い料理が好きだったのだろう。

19世紀のヨーロッパでも、日本人留学生は欧州婦人たちにモテた。これは雄略天皇ではなく、北川歌麿のおかげである。「オォ!ウタマロが来た」と歓迎されたようだ。


日本人は数十年前までは、1人あたり、年間9-10キロの塩を摂取し世界でもトップクラスであった、とその方面の研究家は言う。だが、この30年、世界保健機構や日本の厚生省や日本医師会は、「健康のため塩分控えめ」を主張している。高血圧や胃がんなどの成人病予防のためである。電気冷蔵庫の普及で、塩を使わなくても食料の長期保存が可能になったのも理由の一つである。現在の日本人の平均摂取量は年間5-6キロらしい。

ただこれによって、日本の若者の性欲が減少して、出生率が減ってきているように思える。塩分控えめは50歳以上に限定して、「若者は高血圧や胃がんの心配をしないでもっとガンガン塩分をとれ」とのキャンペーンを政府が行なったら良いのではあるまいか。

雄略天皇や円載和尚のような精力絶倫男や精力絶倫の大和なでしこが増えると、日本の人口は増加に転じるに違いない。私はそう考えている。











2022年5月16日月曜日

インポテンツの薬・塩

 塩のはなし(1)

「塩の世界史」マーク・カーランスキー著・山本光伸訳(扶桑社)という450ページの大冊が手元にある。冒頭に「夫を塩漬けにする女たち」との題の版画が見える。1157年にパリで作られたという。源義経が生まれる2年前である。

3人の中年女性と1人の中年男性が、若い男を抑え込み、ズボンを脱がせてお尻に小刀で傷をつけて塩をすりこんでいる。かたわらの詩に「体の前と後ろに塩をすりこむことで、やっと男の精力は強くなる」とある。若い男の顔は、「かんべん、かんべん!」といった表情だ。

村に新妻がやってくると、中年女性たちが井戸端会議で、「おたく、週に何回くらいなの?」と卑猥な言葉をかけていたのであろうか。新妻がもじもじしながら答えると、「あら、そんなに少ないの?それは大変!きっと塩が足りないのよ」と、中年女たちが若いご主人をつかまえて塩をすりこむ。

塩分補給なら、スープに塩を多めに入れるとか、いくつもの料理方法があるはずだ。夫の精力を強くするための儀式として、このようなことが行われていたのであろう。中年男性は花嫁さんの父親かもしれない。


心理学者・フロイトの友人にアーネスト・ジョーンズという心理学者がいた、とこの本は紹介する。ジョーンズは1912年に「人間の塩に対する強迫観念」という論文を書き、塩と人間の性欲について自説を述べている。

彼によると、塩は生殖にすこぶる関連性があると、人類は長いあいだ信じてきたという。これは塩辛い海に生息する魚が、陸上の動物よりはるかに多くの子を持つことから、そのように考えられたと主張する。塩を運ぶ船にはネズミがはびこりやすく、ネズミは交尾することなく塩につかるだけで出産できると、何世紀にもわたって人類は信じていたという。

彼は、ローマ人は恋する人間を「サラックス」、すなわち「塩漬けの状態」と呼んだと指摘する。これが「好色な(salacious)」という英語の語源だという。

ジョーンズは、自説を次々と展開していく。

〇ピレネー山脈の人々は、インポテンツを避けるために、新郎新婦が左のポケットに塩を入れて教会に行く習慣があった。

〇フランスでは地方により、新郎だけが塩を持って教会に行くところと、新婦だけが持って行くところがあった。ドイツでは新婦の靴に塩をふりかける習慣があった。

〇友人が新郎・新婦の新居にパンと塩を持って行くのが中世以降のユダヤ教の伝統であった。イギリスではパンを持って行くこよはなかったが、何世紀ものあいだ塩を新居に持参する習慣があった。

〇ボルネオのダヤク族が敵の首を取ってきたときには、性交と塩を控えるという。

〇北米大陸ではその昔、ピマ族がアパッチ族を殺した場合、その男と妻は、3週間性交と塩の摂取とをつつしまなければならなかった。








2022年5月9日月曜日

白襷決死隊(4)

 ついに我々は砲台下に肉薄した。昂奮(こうふん)し切った私は勇躍先頭に出て、敵の散兵壕の近くに進み、爆裂弾(ダイナマイト)を思い切ってその中に投げ込んだ。

と、臥せている私の左の足元に、導火線が燃えて今にも爆発せんばかりの爆裂弾がころがっている。敵が投げ返したのだ。いけないッ! と夢中で私はそれを拾い、力いっぱい敵の壕の中へ抛(ほう)りこんだ。その時、左側面から機関銃がうなって、左手を貫通されてしまった。

どくどくと鮮血がしたたり落ちる。慌てて繃帯(ほうたい)をすませ、なにこれしきの事、とさらに前進した。銃剣を以て躍り込もうと立ち上がった時、耳をつんざくような轟然(ごうぜん)たるひびきで、大地が揺さぶられた。地雷の爆発だった。ものすごい土埃(つちぼこり)とともに、多数の戦友たちが空高く跳ね上げられた。手、足、胴体、首がバラバラに落ちてくる惨状だった。

それでも前進した。いたるところで壮絶な白兵戦を演じ、ただ突き、ただ射(い)った。

露兵の中にも勇士はいる。わが身にいくつかの爆弾を結びつけて、密集した我が決死隊の中へまっしぐらに猛進してきた兵もあった。又、石油を全身に浴びこれに火をつけて、さながら火達磨となって猪突してきた兵もある。その気迫は、敵ながらあっぱれであった。

こんぱいした疲れも忘れて戦っていた私が、左手の傷の痛みを強く感じだした頃、谷のほうから一人の露兵が襲ってきた。すばやく身構え、右手に力をこめて、銃剣を突き出すと、敵は、「キャッ」と悲鳴をあげ、両人もろとも、丈余の谷底へ折り重なって墜ちた。

ハッと立ち上げあると、私の銃剣は露兵の右脇腹から尻のところまで貫いていた。私は露兵の身体に足をかけ、力を振りしぼって、ウンウンうなりながら、銃を彼の体から抜き取ろうと焦ったが、いっこうに抜けない。血が凝結してしまっているのだ。どうしようかと途方にくれているうちに、目の前がぼやけてきて、地底に引きずりこまれるような心地がした。そのまま人事不省(じんじふせい)に陥ってしまった。

気がついた時には、水師営の野戦病院のベッドの上にいた。「運の強い男だ」と軍医に言われて帽子を見ると、小銃弾が4発も穴を穿(うが)っていた。全軍、一千名の中、生還せる者は49名。他の951名は壮烈なる戦死を遂げた。