大和の寺社・参拝紀行(3)
奈良の神社・仏閣の紹介に入りたいのだが、今しばらく余談話におつきあい頂きたい。日本の神社の起源は縄文時代にあるということを、伝えたいからである。ここでは相模国一之宮・寒川神社と、安房国一之宮・安房神社での私の体験をお話ししたい。
寒川神社は八方除(はっぽうよけ)の神さまとして有名だ。私がこの神社が好きなのは、この神社の狛犬(こまいぬ)像が巨大で怖そうな顔をして迫力満点だからだ。時に、笑っているような、にやけた顔の狛犬に出会うことがある。可愛らしい、と女性に評判だと聞くこともあるが、狛犬は怖い顔でなければものの役には立たない。悪い奴の進入を防ぐ門番であるからだ。
この神社近くのJR宮前駅は現在は相模湾の海岸線から8キロほど北に位置するが、7千年前はこのあたりが相模川の河口だった。すなわち寒川神社跡は相模湾の目の前にあった。私の手元に7千年前の相模湾の海岸線を示した地図があるが、現在のJRの平塚・茅ヶ崎・藤沢駅はすべて海の中である。
地球の寒暖はCO2の増減だけが原因ではなく、何千年周期で繰り返されているらしい。太陽活動の変化で気温が上がったり、火山の大爆発で火山灰が飛び散り太陽光が遮断されて気温が下がる、などの現象が過去何万年ものあいだ繰り返されている。1万2千年続いた縄文時代で一番気温が高かったのは今から4300年前、というのが考古学者の一致した見解である。この時が縄文時代の人口のピークで、日本列島全体で26万人、気温は現在より2度高かったと、その方面の研究者は言う。
現在、CO2の増加による地球の温暖化が大きな問題になっている。このままだと南極・北極の氷がとけて海洋の水位が上がり、太平洋の小島のいくつかが水没する恐れがあるといわれている。じつは、現在以上の地球の温暖化現象が4300年前にすでにあったのだ。それゆえに、南極・北極の氷がとけて、寒川神社のすぐ前までが海だったのである。
この神社をお参りして私が興奮したのは、寒川神社の周辺から縄文時代の住居の遺跡が数多く発掘されていることだ。寒川町にある岡田遺跡は、日本で最大級の縄文住居跡である。確認された住居の数は600軒で、専門家は1000から1500軒の集落があったであろうと推測している。約4300年前のものといわれている。
古代の人々は、山を見て祈り、川を見て、滝を見て、岬を見て、岩や巨木を見て、畏(おそれ)を抱いて祈りを捧げたといわれる。この寒川の縄文人が畏れ敬い、祈りを捧げたのは相模川の水霊(すいれい)であった。豊かな魚介類や生活用水を恵んでくれるこの大河は、時として獰猛(どうもう)になって氾濫を起こし、人も住居もすべてを押し流してしまう。この水霊を鎮(しず)めるために、彼らは常緑樹の枝を縄文式土器に飾り、木の鳥居を建てて、心を込めて祈りを捧げたに違いない。
安房神社での体験は簡単に述べたい。
ご朱印をいただく時、若い神官に聞いてみた。「この神社は由緒ある古い神社と聞きますが、いつ頃できたのでしょうか?」「創建は養老元年(717)だと聞いています」多くの神社はこのように、神社の創建を飛鳥・奈良時代の年号で答えてくださる。これは多くの場合、寺院の真似をして、瓦ぶきの建物を建築したときの年代のようである。
「そうですか。私はもっともっと古い歴史を持つ神社だと睨んでいますがねえ」と無遠慮に言った。私の声は大きいらしい。社務所の奥に座っておられた80歳ぐらいの神官(おそらく宮司さんだと思う)が、にっこり笑って私のほうに近つ”いて来られた。「おぬし、なかなかわかっているな」といいたげな、すこぶる好意的な眼差しで次のように話してくださった。
「じつは、一昨年、この神社の裏山の洞窟で人骨が発見されました。古い人骨のようで事件性はないと思ったのですが、一応警察に届けました。警察は念のためにと千葉大学に鑑定を依頼しました。約4500年前の縄文人の人骨ということでした」
ひと言つけ加えておきたい。
日本の神社の起源が縄文時代というのは、私の奇説・珍説ではない。神道考古学者のほぼ一致した見解である。学者の中には、それ以前の石器時代から人々は神への祭祀(さいし)を行っていたと主張する人もいるが、それを裏付ける祭祀跡は今のところ発見されていない。縄文遺跡からは、あきらかに古代人が祭祀したと確認できる遺物がいくつも出土している。
ただ、カナダの鳥居については、私の新発見ではないかとひそかに思っている。私が知る限り、今までこれに言及した神道考古学者の論文や記事を見たことがないからだ。
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| 寒川神社の狛犬 |
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