大和の寺社・参拝紀行(2)
私は30代の半ばから3年間ほどシンガポールに駐在していた。勤務していた海運会社が会社更生法を申請したので、いわば人質の形で帰国できなかった。その後、東京地裁が更生手続き開始決定を決めてくれたので1年後に帰国することができた。このようなわけで、後半の1年間はわりあい暇だった。
この頃、日本とはいったいなんだろうかと、ぼんやりと考えていた時期がある。シンガポールは暑い。雨季と乾季はあるが四季はないので、次のようなことをよく夢想していた。今思うと、日本恋しさのホームシック気味だったのかも知れない。
日本に帰ったら、ひんやりとした晩秋の頃、信州か東北地方のひなびた温泉宿に数日間、続けて泊まりたい。芭蕉の『奥の細道』を読み、利休の真似をして抹茶をたてて飲みたい。私は高校時代は剣道部にいたが、部の友人の一人が茶道に凝っていて彼の手ほどきを受けた。門前の小僧程度の茶の湯の知識はある。道元禅師が懐かしい。西行法師の和歌にも心が癒される。そして、新古今・古今・万葉集へと思いはさかのぼる。そこから先の「懐かしいもの」はなんだろうかと考えたあげく、私がたどり着いたのが「神社」だった。「つまるところ、日本人の心のふるさとは神社ではあるまいか」と思った。この気持は現在も続いている。
ただ、長いあいだ、日本の神社は大和朝廷の成立と深い関係があると、漠然と思っていた。天照大神・須佐之男命・神武天皇・応神天皇(誉田別尊・ほんだわけのみこと)・日本武尊・神功皇后・仲哀天皇、などなど、皇室のご先祖様を祭神とした神社が多いからだ。
この考えは間違いかも知れない、と思ったのは45歳の頃である。人材紹介の仕事に入って5年ほど経った頃だ。「不思議なもの」を私は見たのだ。
仕事でカナダの銀行の部長さんを訪問した。約束の時間に伺ったら、恐縮しながら会議が長引いているので30分ほど待ってくださいとおっしゃる。旧知の人で、急ぐ用もないので応接間でお待ちした。その部屋には、カナダ観光庁が発行した美しい写真付きの観光案内のパンフレットが高く積まれていた。この銀行の協力を得て、日本からカナダへの観光客を増やしたい意向のように思えた。
これを何気なく見ていた私は、一枚の写真にクギ付けになった。石でできた古代の大きな鳥居がそのパンフレットに写っているのだ。私の記憶では、形は日本の鳥居とほぼ同じだが、もう少し太かった気がする。グラマーな鳥居だった。
場所は、米国アラスカ州に接するカナダの西の地である。今、これを書きながら、カナダ西部の大きな地図を見ている。北極海の近くにイヌビク、フォート・マクファーソンという町が見える。そこから南西に位置する山奥の川沿いにドーソンという町が見える。これらの近くだった気がするのだが、どの町かはわからない。美しい夏の緑の森林の中に、どっしりとした立派な鳥居が建っていた。
この銀行の部長さんの快諾を得て、私はこのパンフレットを二部いただき、宝物のようにしてオフィスに持ち帰った。大事に仕舞い込んだようだ。今回、心当たりの場所を探したが見つからない。出てきたら、すぐにこの「カナダの鳥居の写真」をこのブログに掲載したい。
北米・南米の両大陸には人類は独自には誕生しなかった。新人類のモンゴロイドが、当時氷結していたベーリング海をシベリアから徒歩でアラスカに渡った。1万5千年前だといわれる。そして2千年という短時間で、彼らの一部は南米最南端のケープホーンまで到達している。食糧探しや仲間割れもあったかも知れない。しかし、前進に前進を重ねたそのエネルギーの大半は、「好奇心」であったと私は考えている。この先に何があるのか?という好奇心である。人間というものの偉大さを思う。好奇心の強い人が本物の人間だと思う。好奇心のない人は、人間の顔をしているが実は人間ではない、私は思っている。
この時、私は一つの想像をした。
この鳥居を造った人々は、1万5千年前の第一陣ではなかったと思う。着の身着のまま、食うや食わずで、地球の最北端の海峡を歩いて渡ってきた人々に、これほど巨大な石造物を造るエネルギーはあるまい。彼ら第一陣はこの地に住みついて集団で生活を営み、人口も増加していった。何百年かのち、ここをシベリア方面からの新たな集団が通過した。彼らは先住の人々の好意でしばらくこの地にとどまった。
先住の人々の行う神事や祭りを見ていた彼らが言った。「我々のシベリアの村では、鳥居を設けてお祈りしていました。こんな格好のものですよ」と、地面に鳥居の絵を描いてくれた。「そういえば昔、死んだ爺さまからそんな話を聞いたことがある。爺さまも、そのまた爺さまから聞いたと言われていた」土着の長老は、遠くを見つめるような眼差しで、そうつぶやいた。
新たな集団の指導のもとで、みんなが力を合わせて10年の歳月をかけ、この立派な石の鳥居は完成した。このような物語があったのかもしれない。
幸運なことは、この地には鳥居の材料となる軟らかい石材と、これを加工するに充分な硬い石材の両方があったことだ。カナダに比べると日本列島の鳥居向けの石材は硬かった。1万年前・5千年前の縄文人が使う石器では歯が立たなかった。やむをえず、縄文人は木で鳥居をつくった。木材は時が経てば朽ち果ててしまう。それゆえに、縄文遺跡から鳥居が発見されていないのだと私は考えている。
このカナダの鳥居の写真を見て以来、鳥居の原型は1万数千年前に、シベリアもしくは中国東北部に住んでいたモンゴロイドが造ったものであり、そのころ日本列島にこれを持ち込んだのも彼らであったろうと私は考えている。
日本の神社の起源は、大和朝廷が成立した千五百年前・二千年前といった、そんな真新しいものではなく、一万年以上昔だと私は考えている。
日本列島に渡来して支配者階級となった大和朝廷の倭王(天皇)たちは、これに「上乗り」したように思える。「上乗り」の意味は、古い祭神と同時に天皇家の先祖を相殿神としてお祭りしたということだ。中国東北部(満州)方面から渡来したといわれるこの騎馬民族の故郷には、もしかしたら同じような鳥居の文化が残っていたのかも知れない。彼らは日本列島に先住する人々の木の鳥居に、なつかしいもの感じたのかも知れない。
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