ここでは、おもに幕末の佐賀藩を例に、当時のサムライの副業について見ていきたい。
GDPが伸びなかったから、二百数十年間ほとんどのサムライの家禄は変わらなかった。武士階級はインフレに悩まされていた。尊王攘夷という思想だけでなく、このあたりにも、もしかしたら明治維新の本質的な原因と背景があったのかも知れない。
佐賀藩には枝吉神陽という立派なサムライがいた。この人は江戸の昌平黌に留学して舎長になり、佐賀にもどり藩校・弘道館の教授になった。「佐賀の吉田松陰」と呼ばれたこの人は、藩校の教授と同時に自分の私塾を経営している。枝吉神陽がコレラで急逝した後、実弟の副島種臣がこの私塾を引き継いだ。大木高任・江藤新平・大隈重信・山口尚芳・久米邦武・香月経五郎などの佐賀藩の英傑たちは、この私塾の門下生である。
枝吉神陽・副島種臣の兄弟が、佐賀藩の若者を教育して立派な人材を育てるという崇高な志を持っていたことは間違いない。しかしそれと同時に、経済的な理由でこの私塾を経営したのではあるまいかと私は考えている。
大隈重信の家禄120石を別格にすると、大木高任45石、枝吉神陽30石、副島種臣15石などの家禄を見ると、経済的には楽ではなかった。江藤新平の場合、なんと家禄7石と記録に見える。これは極貧といってよい。
佐賀藩ではないが、勝鱗太郎だったか福沢諭吉だったか、もしかしたら両者だったかも知れない。知人から英語の辞書を借りてそれを写して二冊の英和辞典を作った。一冊を手元に置き、あとの一冊を3両で売ってお金を得たと聞いたことがある。英語の勉強と同時に収入を得ていたのである。さすが後世に名を残すだけの人だ。あっぱれだと思う。
佐賀藩士、香月経五郎・三郎兄弟の父親は香月三之允という人だ。幕末にこの人が描いた「拝殿 天井絵馬」が佐賀県有田町の山田神社に奉納され、町の重要文化財として保存されている。この神社は平安時代からこの地を領有していた松浦党有田氏の神社で千年近い歴史を持つ古社である。この人は香月洞谷(淡水)という雅号を持っていた。大正9年に時の宮司であった椎谷孟保氏が著した『山田宮沿革誌』には「狩野派の画伯にて鍋島藩の武士であった香月洞谷がこれを描いて奉納した」とある。この人は当時、代官のような立場で佐賀からこの地に派遣されていたようだ。代官様みずから「俺が描いてやる」とおとこ気を出されたのであろう。本人は経済的には豊かで、「奉納」であるから当然無報酬だったと思う。副業の話からは少しずれるが、江戸時代には、渡辺崋山だけでなくプロ並みの画伯サムライが多くいたことを伝えたく、この話を披露する。
サムライ身分ではないが、伊能忠敬の生き方も興味深い。婿入りした下総の造り酒屋の再興を終えた後、50歳で隠居した。江戸に出て、高橋至時という若い先生に入門して、5年間、天文学・測量・地理の勉強をした。55歳のとき蝦夷地の正確な地図をつくるため、江戸を出発して北へ向かった。その後日本列島の海岸線全域を測量して歩き、きわめて正確な「大日本沿岸海與地全図」を幕府に納めている。74歳で没したこの人は、いわば一人で二人分の人生を体験したといって良い。素晴らしい生き方だと思う。
人は、役所や会社が決める定年という概念の中で生きるのではなく、自分に合った生活スタイルの中で、70でも80でも、あるいは90歳でも、元気なうちは働き続けるのが良いと、私は思っている。
1・2年前まで「失われた30年」という、日本の経済成長のなさを揶揄するような言葉がよく使われていた。私はこの言葉に反発する気持ちを持っていた。GDPの拡大・所得の増加・株価の上昇だけをもって善とする、品のないアメリカ式の考え方に日本人が染まってきたことへの反発と嘆きの気持ちである。
この論法でいえば、江戸時代は「失われた270年」ということになる。事実は決してそうではない。戦乱のない平和・文化芸術の興隆・世界に類を見ない国民の高い識字率・高い道徳観、これらがあったからこそ、明治維新後、短期間を持って西欧文明を導入することができたのだと考えている。
GDPの拡大こそなかったものの、この30年間、日本では国家分断のきざしは見えていない。言論の自由が保障された国であるから、人それぞれの考えや主張は異なる。それはそれで良い。しかし、アメリカをはじめとする西欧の国々に比べて、国民の意思はけっこう統一されている気がしている。これは素晴らしいことであり、同時に日本の強みであると考える。日本人が謙虚な気持ちを失わないで前向きに努力を続ければ、今後30年の日本の将来は明るいのではないか。私は日本の将来を楽観している。
ただ、一つ解決しなければならないことがある。現在のアメリカの属国という立場から、平和的な方法によって、普通の独立国家になる必要がある。あの戦争に敗北して、あと20年で100年になる。そろそろ、この問題をかたずけなくてはいけない。私はこれは可能だと考えている。
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