シルクロードのものがたり(21)
胡桃(くるみ)
日本では胡桃は栽培されていないと長い間、私は思っていた。東京の大学に入学して、多くの長野県出身の良友に恵まれた。小諸出身の友と千曲川を見た時か、飯田出身の友と天竜川で遊んだ時か記憶は定かではない。「あれが胡桃の樹だよ」と信州の大河のそばで聞いた時はとても驚いた。
世の中に胡桃(くるみ)というものがあることは子供のころから知っていた。中学生の時、音楽の時間に「この曲はチャイコフスキーのくるみ割り人形というのだ」と先生から聞いた。小学生の時、近所の老人が胡桃を一つか二つ手にして、握ったり離したりしているのを見た。「中風の再発防止に指を動かすのが良いんだ」とその爺さまが言ったのを覚えている。その爺さまはとても大事そうにその胡桃を扱っていたので、外国から輸入した高価なものだと子供心に思っていた。
胡桃の原産地はイラン、というのが植物学者の常識らしい。漢人がなぜ「胡桃」と名付けたのかよくわからない。「桃」は古代から中国では縁起の良い果物として大切にされてきた。「胡の桃」のつもりで名付けたのであろうが、柔らかい果実を食べる桃にくらべ、胡桃は硬い種子(仁)を食用にする。タネの形は桃にとてもよく似ている。種子に視点をあてて、このような呼び方にしたのであろうか。
中国経由で日本に入ったクルミは、奈良・平安時代には「それなりに存在感を持った果実」として扱われている。仏教の普及と関係がある気がする。仏教の広がりと共に肉食が減ってきた。人間の健康のための「脂肪分の補給」として胡桃の重要度が増したのではあるまいか。平城京跡から出土された木簡にクルミの貢進が記録されている。
平安時代の「延喜式」には、「年料別貢雑物」としてクルミが記されている。「租庸調」の「租」は原則「米」でおさめられていたが、米の収穫が少ない地方ではその国の特産物をもって可とされた。対馬では「干アワビ」、瀬戸内海地方では「塩」が米に代わる税として納められていた。平安時代の「延喜式」には、「甲斐国・越前国・加賀国では胡桃をもって納税してよい」と書かれている。
くるみの実には脂肪分だけでなく、様々なビタミン・ミネラル・タンパク質が含まれていて、高血圧・糖尿病・認知症の予防に良いらしい。適度に食べるのは健康に良いと本に書いてある。
「くるみ船長」と呼ばれた人がいる。私が尊敬する今東光のお父さん、今武平氏である。明治元年、津軽藩士の家に弘前で生まれた。函館商船学校に学び長く日本郵船の船長をした。インドの神智学に凝り菜食主義者になり、くるみを主食のようにしていたという。昭和11年に68歳で没している。当時としてはかならずしも短命ではない。
くるみというものは身体に良いらしいが、私はビールのつまみにナッツとして時たま食べるだけである。長野県を旅行した時、「くるみ味噌」というものを食べたことがある。くるみ味噌を使った「五平餅」というものが岐阜の名物と聞くが、まだ食べたことはない。
多くの日本人にとって、くるみとのかかわりは私と似たようなものではあるまいか。そう考えると、日本における「胡桃」の格付けは、いいとこ前頭15枚目あたりだと思う。
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