2023年6月18日日曜日

シルクロードを旅した果物(4)胡桃(くるみ)

 シルクロードのものがたり(21)

胡桃(くるみ)

日本では胡桃は栽培されていないと長い間、私は思っていた。東京の大学に入学して、多くの長野県出身の良友に恵まれた。小諸出身の友と千曲川を見た時か、飯田出身の友と天竜川で遊んだ時か記憶は定かではない。「あれが胡桃の樹だよ」と信州の大河のそばで聞いた時はとても驚いた。

世の中に胡桃(くるみ)というものがあることは子供のころから知っていた。中学生の時、音楽の時間に「この曲はチャイコフスキーのくるみ割り人形というのだ」と先生から聞いた。小学生の時、近所の老人が胡桃を一つか二つ手にして、握ったり離したりしているのを見た。「中風の再発防止に指を動かすのが良いんだ」とその爺さまが言ったのを覚えている。その爺さまはとても大事そうにその胡桃を扱っていたので、外国から輸入した高価なものだと子供心に思っていた。


胡桃の原産地はイラン、というのが植物学者の常識らしい。漢人がなぜ「胡桃」と名付けたのかよくわからない。「桃」は古代から中国では縁起の良い果物として大切にされてきた。「胡の桃」のつもりで名付けたのであろうが、柔らかい果実を食べる桃にくらべ、胡桃は硬い種子(仁)を食用にする。タネの形は桃にとてもよく似ている。種子に視点をあてて、このような呼び方にしたのであろうか。

中国経由で日本に入ったクルミは、奈良・平安時代には「それなりに存在感を持った果実」として扱われている。仏教の普及と関係がある気がする。仏教の広がりと共に肉食が減ってきた。人間の健康のための「脂肪分の補給」として胡桃の重要度が増したのではあるまいか。平城京跡から出土された木簡にクルミの貢進が記録されている。

平安時代の「延喜式」には、「年料別貢雑物」としてクルミが記されている。「租庸調」の「租」は原則「米」でおさめられていたが、米の収穫が少ない地方ではその国の特産物をもって可とされた。対馬では「干アワビ」、瀬戸内海地方では「塩」が米に代わる税として納められていた。平安時代の「延喜式」には、「甲斐国・越前国・加賀国では胡桃をもって納税してよい」と書かれている。

くるみの実には脂肪分だけでなく、様々なビタミン・ミネラル・タンパク質が含まれていて、高血圧・糖尿病・認知症の予防に良いらしい。適度に食べるのは健康に良いと本に書いてある。

「くるみ船長」と呼ばれた人がいる。私が尊敬する今東光のお父さん、今武平氏である。明治元年、津軽藩士の家に弘前で生まれた。函館商船学校に学び長く日本郵船の船長をした。インドの神智学に凝り菜食主義者になり、くるみを主食のようにしていたという。昭和11年に68歳で没している。当時としてはかならずしも短命ではない。

くるみというものは身体に良いらしいが、私はビールのつまみにナッツとして時たま食べるだけである。長野県を旅行した時、「くるみ味噌」というものを食べたことがある。くるみ味噌を使った「五平餅」というものが岐阜の名物と聞くが、まだ食べたことはない。

多くの日本人にとって、くるみとのかかわりは私と似たようなものではあるまいか。そう考えると、日本における「胡桃」の格付けは、いいとこ前頭15枚目あたりだと思う。

胡桃






2023年6月5日月曜日

シルクロードを旅した果物(3)葡萄(ぶどう)

 シルクロードのものがたり(20)

葡萄(ぶどう)

漢詩を読んでいて、石榴・林檎を詠んだものに出会ったことことはないが、葡萄に関しては盛唐の王翰(おうかん・687-726)が有名な詩を残している。漢代に中国に入った葡萄は、唐代にはポピュラーな果物となり、長安の酒場では葡萄酒が飲まれていたようである。

葡萄の美酒 夜光の杯 飲まんと欲すれば 琵琶 馬上に催(うなが)す

酔うて沙場に臥すとも 君笑うなかれ 古来 征戦 幾人(いくにん)か回(かえ)る

「涼州詞(りょうしゅうし)」という題で、涼州とは現在の甘粛(かんしゅく)省・武威県である。ここから北西に進めば、玉門関・安西・敦煌に到着する。この三地域までが現在、甘粛省の行政範囲であり、これより西は新疆ウイグル自治区となる。自治区というものの、行政を仕切っているのは中華人民共和国である。

この王翰の詩は、ワインは旨いなあ、といった明るい詩ではない。張騫の遠征以来800年にわたって、この西域の地で、中国人と異民族とのあいだに血みどろの戦いが続けられてきたことをものがたっている。

これに比べると、李白の「少年行・しょうねんこう」は、はつらつとした詩である。

五陵の年少 金市(きんし)の東 銀鞍白馬(ぎんあんはくば)春風を度(わた)る

落花踏み尽くして 何れの処(ところ)に遊ぶ 笑って入る 胡姫酒肆(こきしゅち)の中

葡萄酒とはどこにも書いていない。しかし、金髪青眼の西域美女がもてなす外人バーに入ったのだから、長安のエリート青年たちが、西域から輸入されたガラスのコップでワインを傾けたのは間違いない。


中学生の時、野島先生が「葡萄の原産地はコーカサス地方です」と教えてくださった。林檎も大根もコーカサスだとおっしゃる。コーカサス地方原産の果物や野菜はずいぶん多いなあ、と中学生の私は驚いた。この野島先生の説明は正しいのだが、葡萄にはもう一つの原産地がある、というのが現在の植物学者の常識らしい。そこは、アメリカ合衆国・オハイオ州・デラウェアだという。

葡萄は奈良時代に遣唐使によって日本に持ち込まれた。当然ながらコーカサス地方原産でシルクロード経由で中国に入った種類である。鎌倉時代の初期に甲斐国(山梨県)の勝山で本格的な栽培がはじまった。「勝沼や 馬子も葡萄を食いながら」という松尾芭蕉の句がある。江戸時代には、葡萄は甲斐の名産品、と認知されていたようである。

明治に入るとアメリカ原産のデラウェアや、コーカサス原産ではあるがヨーロッパにおいて品種改良された何種類もの葡萄が、アメリカや欧州経由で日本に入ってくる。

令和元年の日本の果物の生産量は、1位みかん、2位林檎、3位梨、4位柿で、5位が葡萄である。葡萄の生産高の順位を県別でいうと、1位山梨県、2位長野県、3位山形県、4位岡山県、5位福岡県、6位北海道となる。

世界全体で見れば、葡萄の生産量が果物のダントツ一位で、世界の果物の生産高の80パーセントを占める。ただし、生でフルーツとして食べられている果物の1位はバナナ、2位は柑橘類(オレンジ・みかん・レモンなど)で、葡萄は3位となる。その理由は、葡萄の80パーセントがワインに加工されているからだ。10パーセント程度が干し葡萄にされ、残りの10パーセントをフルーツとして生で食べているのだという。

これらからすると、葡萄は世界で見れば横綱、日本では関脇に格付けするのが適当と思える。

おしまいに「ぶどう」という名前についての「うんちく」を披露したい。

現在のウズベキスタン共和国の東のはずれに、フェルガーナという都市がある。北がキルギス、南がタジキスタンで、張騫が遠征したころはこのあたりは「大苑国」と呼ばれていた。当時、この地方の人々はこの果物を「ブーダウ」と呼んでいた。これを聞いた漢人が中国に帰って「これはブーダウと言うんだよ」と教え、「葡萄」と書いて「ブーダウ」と読ませた。遣唐使の日本人留学生・留学僧がそのまま日本に伝えた、と考えられている。「ザクロ」と同じく「ブドウ」という言葉も、原産地に近い「西域」を源とする言葉のようである。

葡萄の画像が必要と思い、近くのスーパーに買いに行った。5月の下旬では日本の葡萄は無い、南半球の輸入物があるだろうと思った。あるにはあったのだが鮮度が悪い。島根県産「種なしデラウェア」というのを購入した。温室栽培のものらしい。残念だがこの葡萄の画像は、コーカサス地方ではなくアメリカが原産の葡萄である。

葡萄