2023年6月5日月曜日

シルクロードを旅した果物(3)葡萄(ぶどう)

 シルクロードのものがたり(20)

葡萄(ぶどう)

漢詩を読んでいて、石榴・林檎を詠んだものに出会ったことことはないが、葡萄に関しては盛唐の王翰(おうかん・687-726)が有名な詩を残している。漢代に中国に入った葡萄は、唐代にはポピュラーな果物となり、長安の酒場では葡萄酒が飲まれていたようである。

葡萄の美酒 夜光の杯 飲まんと欲すれば 琵琶 馬上に催(うなが)す

酔うて沙場に臥すとも 君笑うなかれ 古来 征戦 幾人(いくにん)か回(かえ)る

「涼州詞(りょうしゅうし)」という題で、涼州とは現在の甘粛(かんしゅく)省・武威県である。ここから北西に進めば、玉門関・安西・敦煌に到着する。この三地域までが現在、甘粛省の行政範囲であり、これより西は新疆ウイグル自治区となる。自治区というものの、行政を仕切っているのは中華人民共和国である。

この王翰の詩は、ワインは旨いなあ、といった明るい詩ではない。張騫の遠征以来800年にわたって、この西域の地で、中国人と異民族とのあいだに血みどろの戦いが続けられてきたことをものがたっている。

これに比べると、李白の「少年行・しょうねんこう」は、はつらつとした詩である。

五陵の年少 金市(きんし)の東 銀鞍白馬(ぎんあんはくば)春風を度(わた)る

落花踏み尽くして 何れの処(ところ)に遊ぶ 笑って入る 胡姫酒肆(こきしゅち)の中

葡萄酒とはどこにも書いていない。しかし、金髪青眼の西域美女がもてなす外人バーに入ったのだから、長安のエリート青年たちが、西域から輸入されたガラスのコップでワインを傾けたのは間違いない。


中学生の時、野島先生が「葡萄の原産地はコーカサス地方です」と教えてくださった。林檎も大根もコーカサスだとおっしゃる。コーカサス地方原産の果物や野菜はずいぶん多いなあ、と中学生の私は驚いた。この野島先生の説明は正しいのだが、葡萄にはもう一つの原産地がある、というのが現在の植物学者の常識らしい。そこは、アメリカ合衆国・オハイオ州・デラウェアだという。

葡萄は奈良時代に遣唐使によって日本に持ち込まれた。当然ながらコーカサス地方原産でシルクロード経由で中国に入った種類である。鎌倉時代の初期に甲斐国(山梨県)の勝山で本格的な栽培がはじまった。「勝沼や 馬子も葡萄を食いながら」という松尾芭蕉の句がある。江戸時代には、葡萄は甲斐の名産品、と認知されていたようである。

明治に入るとアメリカ原産のデラウェアや、コーカサス原産ではあるがヨーロッパにおいて品種改良された何種類もの葡萄が、アメリカや欧州経由で日本に入ってくる。

令和元年の日本の果物の生産量は、1位みかん、2位林檎、3位梨、4位柿で、5位が葡萄である。葡萄の生産高の順位を県別でいうと、1位山梨県、2位長野県、3位山形県、4位岡山県、5位福岡県、6位北海道となる。

世界全体で見れば、葡萄の生産量が果物のダントツ一位で、世界の果物の生産高の80パーセントを占める。ただし、生でフルーツとして食べられている果物の1位はバナナ、2位は柑橘類(オレンジ・みかん・レモンなど)で、葡萄は3位となる。その理由は、葡萄の80パーセントがワインに加工されているからだ。10パーセント程度が干し葡萄にされ、残りの10パーセントをフルーツとして生で食べているのだという。

これらからすると、葡萄は世界で見れば横綱、日本では関脇に格付けするのが適当と思える。

おしまいに「ぶどう」という名前についての「うんちく」を披露したい。

現在のウズベキスタン共和国の東のはずれに、フェルガーナという都市がある。北がキルギス、南がタジキスタンで、張騫が遠征したころはこのあたりは「大苑国」と呼ばれていた。当時、この地方の人々はこの果物を「ブーダウ」と呼んでいた。これを聞いた漢人が中国に帰って「これはブーダウと言うんだよ」と教え、「葡萄」と書いて「ブーダウ」と読ませた。遣唐使の日本人留学生・留学僧がそのまま日本に伝えた、と考えられている。「ザクロ」と同じく「ブドウ」という言葉も、原産地に近い「西域」を源とする言葉のようである。

葡萄の画像が必要と思い、近くのスーパーに買いに行った。5月の下旬では日本の葡萄は無い、南半球の輸入物があるだろうと思った。あるにはあったのだが鮮度が悪い。島根県産「種なしデラウェア」というのを購入した。温室栽培のものらしい。残念だがこの葡萄の画像は、コーカサス地方ではなくアメリカが原産の葡萄である。

葡萄





 


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