岩手県の田頭(でんどう)城跡、20年後の訪問
翌朝、ご夫妻に大湊駅まで車で送っていただいた。このとき山崎医師が3本の万年筆をくれた。1本はペン先を曲げた極太文字や絵の描ける万年筆、2本は万年筆を太文字のボールペンに改造したものだ。このボールペンがとても書きやすい。以来、ブログなどの原稿用紙の下書きにはこれを使っている。私にはとてもできない芸当だが、バイク修理工場主の山崎医師にはたやすいことのようだ。
50年前の本も嬉しかったが、今回いただいた筆記用具も大変ありがたい。とても書きやすいので、執筆意欲がさらに高まりそうだ。
大湊駅を出発した電車は、右手に陸奥湾を見ながら南下する。八戸駅で新幹線に乗り換え盛岡駅で降りる。盛岡駅からローカル線で北上して8つ目の大更(おおぶけ)駅近くにある田頭城跡を訪問するためだ。この城跡については、「岩手県の古城跡(田頭城)」という題で、2019年5月にこのコーナーで紹介した。
城跡を再訪したい気持が2割ほど、あとの8割はあの時のタクシー運転手さんに会って、20年前に渡しそびれた1万円のチップを渡したいとの気持ちだった。1度会っただけの運転手さんで、この方の名前はわからない。会えないにしても、彼の消息はつかめるのではないか。そういう気持ちが心の中にあった。
正午過ぎに盛岡駅に着いた。以前と同じくローカル線で啄木のふるさと渋民駅経由で大更(おおぶけ)駅に向かおうとしたら、次の電車の出発は午後4時過ぎだという。これには驚いた。帰りの電車はいつになるやらわからない。20年の間にローカル鉄道の便数はずいぶん減っている。「バスだと1時間後に駅前から出ますよ」と駅員さんが教えてくれる。バスだと50分と鉄道より時間がかかるが、違った景色が見られるのでバスの旅も楽しい。
大更駅前でバスを降りて、タクシー乗り場に向かう。2台のタクシーが停まっている。20年前に、「ここでタクシー運転手をしているのは私だけですよ」と私と同い年だという運転手は言っていたが、2人のタクシー運転手は共に50歳前後に見える。先頭の運転手に声をかけて聞いてみるが、「知りませんなあ」と愛想がない。
2人目の運転手はその方を知っていた。「ああ、その人なら数年前にお百姓に専念するといって会社を辞められましたよ。大きなお百姓さんでしてね、時々この駅前で見かけますよ。今はちょうど稲刈りで忙しそうですよ」とおっしゃる。「そうか、お元気なんだ!」と私は嬉しくなった。このタクシーに乗り田頭城跡に向かう。6ー7分で到着する。
20年前の運転手は、嬉々としてまるで従者のように城跡のてっぺんまで同行してくれた。私のことをこの城の若君の子孫だと思い込んでいる運転手は、私とは400年前の因縁がある身内だ、と思ってくださったからであろう。今度の運転手は、いわば他人だ。「ここで待っていますから」と城跡の下の駐車場にタクシーを停めた。
1人で50メートルほどの山城に登る。20年前と異なるのは、「ずいぶん長い滑り台」と「公衆便所」が造られているだけで、それ以外は何も変わらない。訪問客は私以外はだれもいない。八幡平市は観光名所にしたいらしいが、どうもそうでもないらしい。25分ほどで降りてきた。「桜の時期にはけっこう観光客がいるんですがねえ」と運転手は言う。
大更駅に着いた。待機料金2000円ほどを加えた料金が提示されたので、チップは払わなかった。それでも親切な人で、タクシーから降りてきて、「電車が早いかな、それともバスが早いかな?」とそれぞれの時刻表を調べてくれている。結局、40分待ちの電車で盛岡駅に向かった。
20年前の運転手さんは、お元気で400年以上続いているご先祖様の田圃で稲作に専念されていることがわかった。よかった、よかった。今年はお米の値段が高いから、米農家さんには良い年であろう。この岩手県への小旅行も愉快な旅であった。