2023年8月21日月曜日

シルクロードを旅した果物(6)西瓜(すいか)

シルクロードのものがたり(23)

西瓜(すいか)

ひと月ほどブログを書かないでいると、「田頭さん元気か?夏バテでくたばっているのではないか?」と心配して電話をくださる方がいる。有難いことだ。 「おかげさまで元気はつらつです。少しサボっていますがまた書きます。読んでくださいね」と答えている。読者から励ましをもらった作家のような気分になり、とても嬉しい。


さて西瓜であるが、植物学では、これは果物ではなく野菜に分類される。ただ、赤くて甘い西瓜を食べていると野菜という気はしない。よってこのコーナーでは、果物として紹介したい。

西瓜の原産地は「アフリカ中部の砂漠地帯」だといわれる。古代スーダンで栽培され、エジプトでは4000年前の西瓜の絵が残っている、との記述もある。「南アフリカのボツアナのカリハリ沙漠付近が原産地だ」という人もいるが、今アフリカの地図を見ているが、カリハリ沙漠からスーダン・エジプトまではずいぶん距離がある。私としては、アフリカ中部説を採りたい。

エジプトから中近東を経由してシルクロードに入り、その種子はラクダの背に乗って11世紀に中国に入った。北宋の時代であるから、私が大好きな蘇軾(そしょく・1036年生まれ)が生きていた時代である。

日本に入ってきた時期には諸説あるが、16世紀もしくは17世紀、中国経由らしい。この西瓜の日本入りも葡萄と同じようにヨーロッパ人がしゃしゃり出てくる。「天正7年・1579年・ポルトガル人が西瓜の種子を長崎に持ち込んだ」と欧州人は言うが、欧州人の我田引水ぶりにヘキヘキしている私は、これには首をかしげている。

江戸時代に我が国に入ってきたものの、当時はあまり人気がなかった。甘味が少なかったようで、江戸時代の庶民が好んだのは西瓜ではなく「まくわ瓜」であった。日本で西瓜が好んで食べられるようになったのは明治以降、というより大正時代になってから品種改良によって甘味が増してかららしい。

私もこの25年間、郷里の田頭農園で西瓜の栽培をしているが、立派な西瓜をつくるのは結構むずかしい。

まず第一に連作を嫌う。西瓜は6年、里芋は4年、ジャガイモ・トマト・茄子は3年、連作を避けるように、というが、やってみて本当の気がする。第二に多雨を嫌う。アフリカの砂漠地帯が故郷なのだからこれは理解できる。ホームセンターで苗を買って移植するのだが、畑の何か所に高さ30-40センチの小型の砲台みたいに土を盛り、そこに植える。過度な湿気を避けるためである。私の農園は日本では雨量の少ない場所なので、適地といえば適地だが、葉っぱや茎が育つ5月・6月に雨量が少ないと生育が悪い。雨が多いと甘味が少ない。第三に肥料をやる時期が早すぎると、せっかく結んだ果実がポロリと落ちる。ゴルフボールぐらいの大きさになった時、化学肥料を追肥する。

もう一つ大切なことは、受粉である。プロの西瓜農家は朝早く起きて、人工授粉を行っている。月1回、1週間百姓の私にはこれが出来ない。もっぱら「蜜蜂・蝶・てんとう虫」などの昆虫の活躍に全面的に頼っている。

たいした手入れもしていないので、「西瓜をつくっている」というには気が引ける。「勝手に育ってくれている」というのが正確な表現である。それでも、6株ほど植えて、3年に一度くらいのペースで、豊作がある。15,6個の大きな西瓜が収穫できるととても嬉しい。写真の西瓜は、コロナが始まる前年の豊作のときのものだ。今年の西瓜の出来は、大学の成績だと「良」と「可」の間ぐらいである。










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