2024年12月9日月曜日

ハミウリ(哈密瓜)の話(2)

 シルクロードのものがたり(46)

ハミウリ(哈密瓜)の話(2)

陳舜臣は神戸生まれだが、ご先祖様は中国人である。このことが理由か、司馬遼太郎以上にハミウリへの思い入れが強く、またこの瓜の故事にも造詣が深い。この人の書いた西域関係の数冊に目を通したが、その多くにハミウリのことを記している。よって、以下はこれらの本からの引用が多い。

司馬遼太郎は「明の永楽帝に献上」というが、陳舜臣は「清の皇帝に献上」と述べている。しかし、これはたいした問題ではない。明の皇帝への献上が喜ばれたので、ハミの王様は清朝にも献上を続けたのであろう。

明の永楽帝がはじめてハミウリを食べた中国の皇帝だとは思わない。この瓜は別にハミ(哈密)地方が原産地でもなければ、哈密だけの特産物でもない。タクラマカン砂漠周辺の全域のみならず、その西方のカザフスタン・キルギス・ウズベキスタン・トルクメニスタン・アフガニスタンあたりでも、立派なハミウリが大量に生産されている。よって、漢代の張騫(ちょうけん)・蘇武(そぶ)・李広(りこう)・李陵(りりょう)たちもこのハミウリを食べたであろうし、漢の武帝も西域からのお土産としてこのハミウリを食べたのは、ほぼ間違いないと私は思っている。

陳舜臣は「シルクロード旅ノート」の中で、「炎天下、瓜を割って食べるたのしさ」と題し、次のように語っている。

シルクロードの果物の雄である瓜について述べよう。炎天下、ようやく探し当てた木陰で、瓜を割って食べるたのしさは、たとえようがない。チンギス汗に従って、サマルカンド地方に遠征した耶律楚材(やりつそざい・1190-1244)の「西域に新瓜(しんか)を嘗(な)む」と題する詩が思い出される。

征西の軍旅 未(いま)だ家に還(かえ)らず                             

六月 城を攻めて汗(あせ) 沙(すな)に滴(したた)る

自ら不才を愧(は)ずるも  還(ま)た幸(しあわせ)有り

午風(ごふう)涼しき処(ところ)に 新瓜(しんか)を剖(さ)く

この遠征は、足かけ7年にわたる血なまぐさいものであった。燕京(えんけい・北京)出身の彼には耐えがたいものであった。そんなとき、わずかに幸せを感じるのは、「木陰で新しくとれた瓜を割る」ことだという。シルクロードを旅していると、この気持ちがよくわかる。詩に六月とあるが、もちろん陰暦のことだから、太陽暦の七月である。夏が瓜の食べごろなのだ。秋に行けば瓜がないということではない。ただ夏のほうがおいしい。

哈密(ハミ)という新彊(しんきょう)の地名をとって、ふつう哈密瓜(ハミウリ)と呼ばれているが、なにも哈密だけにできるものではない。トルファンでも、カシュガル、ホータンでもシルクロードのいたるところで生産されている。だから哈密以外の土地の人たちにとって、このウリに「哈密」という特定の地名が冠せられているのが面白くないらしい。彼らはこの瓜を「甜瓜・てんか・甘い瓜」と呼んでいる。


「美味は神秘性を帯びる」と題し、次のようにも語っている。

清朝時代、この瓜は貢品として、朝廷に毎年献上されていた。朝廷ではこれを群臣に下賜したが、よほどの寵臣でなければ一個まるごともらえない。半分に切ったものとか、四分の一をもらうといったことだったらしい。ハミウリを下賜されるのは、朝臣のごく一部であったので、それだけにその美味は、皇帝の寵愛度と重なり、神秘性を帯びた。禁じられた美味として、下級官僚や裕福な庶民たちはあこがれたのである。

清朝末期の役人で宋伯魯(そう・はくろ)という人がいた。1886年の進士及第だという。この人が新彊に赴任して、はじめてあこがれのは哈密瓜にありついた。それに感激して「哈密瓜を食す」という題の詩がある。(冒頭のみを紹介する・田頭)

我(われ)、毀歯(きし)より 已(すで)に耳に熟(じゅく)せるも

玉(ぎょく)を剖(さ)くに縁無(えんな)く 空(むな)しく嘆嗟(たんさ)せり

毀歯とは歯が生えかわる時期のことで、7歳・8歳ごろとされる。このころから美味しいと噂に聞いていたが、玉(哈密瓜の美称)を割く縁がなく、むなしくため息ばかりついていたという意味である。ひょっとすると、この詩には、哈密瓜を下賜されるほどの高官に昇進しなかったことを嘆くニュアンスも含まれているのかも知れない。

以上は陳舜臣の筆による。


念のため、この宋伯魯について調べてみたら、1856-1932と書かれている。日本でいうと昭和7年まで生きた人だ。この詩を書いたのは、日清戦争のあとで、おそらく日露戦争の前後だと思われる。清朝が滅亡するほんの少し前の詩である。

丸ごと一個もらえたのは宰相クラスだけというから、並みの大臣は半分というところか。そうだとすれば、次官・局長が四分の一、課長クラスはもらえないか、せいぜい八分の一だったに違いない。

前年に八分の一をもらった課長が、局長に昇進して、あるいは大きな手柄を立てて、今年は四分の一のハミウリを皇帝からもらった姿を想像する。大喜びで自慢げに家に持ち帰り、皇帝からの寵愛に感激の涙を流しながら、妻子を含めた一族郎党と一緒に、このハミウリを薄く切って皆で分け合って食べている姿を想像すると、なんともほほえましい。


ウズベキスタン 手前がハミウリ、向こうが西瓜 提供・辻道雄氏 








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