2024年12月6日金曜日

ハミウリ(哈密瓜)の話

 シルクロードのものがたり(45)

法顕の話が長くなってしまった。ここで少し趣を変えて、シルクロード地域の特産品に目を向けて、軽いタッチで紹介したい。


ハミウリ(哈密瓜)の話

はじめて私がハミウリを食べたのは30歳を少し過ぎた頃で、場所は香港だった。当時は海運会社に勤務していて、年に3-4回東京から香港に出張していた。35歳のときシンガポール駐在員になり同地に3年間ほど住んだが、この時もおなじくらいの頻度で香港に行っていた。

香港での食事は、代理店・ドッドウェルのマネージャーの郭(かく)さんと一緒の時が多かった。郭さんは食い道楽の広東人だが、中産階級のサラリーマンなので値段の高い店には行かない。接待費の枠も、上司の英国人にくらべ少なかった。いま考えると、この人は安くて旨い店を見つける名人だったような気がする。

日本人観光客が一人もいない鯉魚門(レイユームン)にも、しばしば連れて行ってもらった。はじめてハミウリを食べたのはどこの店だったか忘れたが、郭さんと一緒だったことは覚えている。「美味しい瓜ですね」と言うと、「これは旨い瓜なんだよ。でも夏から秋の時期しか食べられない」と答えた。

シンガポールでは、パパイア・マンゴー・マンゴスチン・ランプ―タンなど食後のフルーツは豊富で、ハミウリは出てこない。「日本では見たことがないし、シンガポールでも見かけませんよ」と言うと、「瓜には害虫がつきやすいので、どの国でも植物検疫がうるさいんだよ」と教えてくれた。私がハミウリを食べたのは計10回ほどだが、いずれも香港だった。特に高価だったという記憶はない。香港では庶民が食べる果物だった。

「市場(いちば)では丸ごと売っているの?」と私がもの欲しげに問うと、「売ってはいるが大きいのは10キロほどもあるから、一人では食べきれないよ。シンガポールには持って帰れないし、食後にレストランで食べるのが無難だよ」と言って、郭さんは市場には連れていってくれなかった。


司馬遼太郎と陳舜臣の二人の作家は、NHK取材班に同行してシルクロード各地を何度も旅している。二人は別々の地域を担当したようだが、両人ともこの「ハミウリ」には感激したようで、熱の入った文章が残っている。ここでは、司馬遼太郎の「シルクロード、民族の十字路イリ・カシュガル」からその一部を紹介したい。

「美味格別なり、ハミウリ」

次の日、私たち取材班は哈密(ハミ)郊外の農村へと車を走らせた。10キロほど走ったとき中国側の屠(と)さんが、「ハミウリ畑です」と指さした。道路脇に集められたウリを手にとると、ラグビーのボールくらいの大きさ。黄色く熟したウリは5キロほどの重さがある。年配のウイグル人が、ハミウリの由来を説明してくれる。ウイグル語から中国語へ、そして日本語への二段通訳で。

「モンゴル帝国が滅び、明王朝が建った。永楽帝(えいらくてい)の治世1404年のことである。この地を治めていたアンクテムルという王は、永楽帝にウリを献上した。ひと口食べた皇帝は、”うまい” と口走った。そして臣下にたずねた。”これはいかなるウリじゃ” だが、臣下たちは、ハミからの献上品という以外は何ひとつ知らない。”いかなるウリじゃ”  帝は重ねてたずねた。 ”ハ、ハミウリにございます” と役人は答えた。それ以来、永楽帝に献上されたウリは、ハミウリと呼ばれ、天下に広まった」

私たちも、とりたてのハミウリをご馳走になった。メロンの甘さとスイカの淡白さを合わせもち、口に入れると舌にとけてゆく。「うまいなあ。私たちだけで食べるのも気がひけるから、日本に持ち帰って友達にもあげようか」と、後藤カメラマンと相談していると、早くも、それに気つ”いた通訳の張永富(ちょうえいふ)君が、「ぜひ、日本の友人に持ち帰ってください」と言って、特別大きなウリを8個もかかえて来てくれた。


後日、それからおよそひと月たって、私たちは成田空港に帰った。私はハミウリを検査官の前にさしだした。「ハミから持って来ました。検査してください」「ハミ?ハミってどこですか?」「中国のずっと奥にある町です。シルクロード取材の帰りです」「ハミ?弱りましたなあ、このウリ」と検疫官は困り顔である。「ちょっと待ってください」と言って、事務所の中にひっこみ、何か相談をしている。もどってきた係官は法律の綴じ込みをかかえている。

「これは輸入禁止品ですなあ。残念ですが」「ハミウリが輸入禁止品ですか。誰も持ってきた人はいないでしょう。それなのにどうして禁止品に入っているのですか?」「それは、まあ、そうですが。とにかく、ウリ全体がだめなんですよ」 はるばる遠いところから運んで来たのに、ここで取り上げられるのはなんとも残念である。しつこく係官にくいさがった。しかし、結局、だめであった。ハミウリは焼却処分された。

司馬遼太郎の無念そうな顔が目に浮かぶ。


この写真は哈密の西北西600キロ、石河子のものである


      



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