2019年11月21日木曜日

今東光と鴎外・漱石

これも「極道辻説法」の中にあった話だ。週刊プレーボーイの「極道辻説法」は、全国の若者がハガキで質問するのに、東光和尚が答えるかたちで編集されている。


和尚は鴎外と漱石についてどう思うか?和尚はその2人に会ったことがあるか?また一番尊敬しているのは誰か? (大阪市・匿名希望)


一番尊敬しているのはやっぱり鴎外だね。いま鴎外をほんとうに読める人は少ないんじゃないか。
漱石は女子供にも読めて通俗的だけど、鴎外は苦しんで読むんだ。「渋江抽斎」は津軽だから、ああいうのを書く時、鴎外はちゃんと俺の伯父と文通して資料を集めていたよ。

この伯父というのが、例の津軽で医者をやっていた伯父でね。その伯父と鴎外・後藤新平・北里柴三郎はみんな大学予備門で一緒だったんだよ。今の東大だな。俺が中学校を放校されて東京に出てきたばかりの頃、この伯父の使いで鴎外の家に行ったことがあるんだ。

千駄木にある立派な家だったよ。玄関で家人に伯父の手紙を渡したら、ひげを生やした先生が出てらしてね。「君はどういう?、、、、」と言うから、「私は伊東重の妹の倅(せがれ)でございます。重は伯父に当たります」と言ったら、「おお、そうか。何て言うんだ?」と言うので、
「今東光と言うんです」 覚えてやしないだろうけどね。
「確かに受け取った。返事はいますぐ書かなくていいんだろう?」
「とにかく、お渡しするようにとのことでございましたから」 「ああ、そう」

俺が絵を描きに谷中の画塾へ行くのに、絵の道具を担いで歩いていると、先生がね、団子坂の上から肴町(さかなまち)ぐらいまでお歩きになるんだ。その先にお迎えが来てるんだ。

なにしろ軍医総監だから。そこまで先生は軍帽をかぶって軍服を着て、長いマントを着て、勲一等の勲章をつけてね。とてもカッコ良かった。それで俺がお辞儀するんだ。すると、「こいつ、何処かで見たな」というような顔をなさってね。そしてちゃんと敬礼をしてくれるんだよ。それが、カッコよくてね。みんなが見ている中で、サッとこうやるんだ。


漱石には一度、武者小路実篤に紹介されたな。いまの帝国ホテルの隣に華族会館というのがあってね。そこで小さな音楽会があって、武者小路に連れていかれた。そうしたら廊下で武者小路が、
「ハーッ」とお辞儀をしてしばらく話している。

「あっ、夏目さんだな」と思って俺は見てたんだよ。そしたら、「これ、今東光君」、と言って紹介してくれたんだ。なにも俺を紹介してくれなくてもいいのに、やはり、華族の社交性なんだろうな。
そうしたら夏目さんん、「ああ」、と。なに、こっちはまだガキだし、東京に出てきたばかりの18の年だから。「ああ」、と言ったきり、眼中歯牙にもかけず、なんだろうというような顔をしていた。

そこで黙ってりゃよかったのに、俺よけいなことを言っちゃった。
「胃の調子はこの頃いかがですか?」って。お世辞のつもりでね。
そしたら、ニヤッと笑って、「相変わらずだ」、と言ったんだ。やっぱり良くなかったんだろうな。
ま、それだけの話でね。それっきり会ったことはない。

鴎外の作品に比べれば、漱石の作品は、まあ、落語みたいなものだよ。だから大衆性があって、いまでも読まれているんだ。













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