2021年1月18日月曜日

大根の話

 日本という国ができて今日まで、日本人が一番大量に食べた野菜は何か、と空想している。

日本の建国がいつかというのはむずかしい問題だ。縄文・弥生時代には国はなかった。天照大神・スサノオノミコトの実在性には自信が持てない。神武天皇も自信がない。日本武尊(やまとたけるのみこと)なら大丈夫だろう。

3-4世紀に活躍した人で、仁徳天皇の曽祖父にあたる。日本武尊の時代に日本という国の基礎ができた、と私は考えている。以来1700年、日本人が一番多く食べた野菜は、「大根に違いあるまい」と思う。

日本人が現在食べている野菜の95%以上は外国から入ってきた。太古の昔から日本列島に自生していた野菜は、「やまいも・蕗(ふき)・芹(せり)・三つ葉・野蒜(のびる)・独活(うど)・山葵(わさび)・蓼(たで)」ぐらいだと、その方面の研究者は述べておられる。渡来の時期は、縄文・弥生時代から古墳・奈良・平安・鎌倉・室町・江戸・明治以降とそれぞれに分類される。古い時代に渡来した野菜に強みがある。

大根は、大豆(だいず)・牛蒡(ごぼう)・生姜(しょうが)・瓜(うり)と共に、第一陣として縄文時代に日本列島に入ってきた。よって、日本武尊も弟橘媛(おとたちばなひめ)も大根を食べていたことになる。

大根に間違いないと思うのは、自分の20年間の野菜作りの経験で、この栽培がとても容易だからだ。虫がつかないので農薬はまったく不要である。我々は無農薬栽培を目指しているのだが、白菜やキャベツにはどうしても少量の農薬・オルトランを使う。昔の人にとって、大根は作りやすい野菜だったと思う。

茄子の渡来も弥生時代と古いのだが、ナス科の野菜は連作を嫌う。同じ場所に続けて植えると連作障害で虫がつきやすく、収穫量も落ちる。この点、アブラナ科の大根は毎年同じ場所でうまく栽培できるので助かる。このようなわけで、大根という野菜は日本人にとって半端な野菜ではない。昔から今に至るまで、格別に重要な野菜だと言っていい。

私があらためて力こぶを入れなくても、「徒然草」の中に、「熱狂的な大根ファン」が登場する。これを読むたびに、いろいろと想像をめぐらせて、クスリと笑ってしまう。第68段に次のようにある。

「九州に何某(なにぼう)とかいう押領使(警察官)がいた。大根を万事によく利く薬だと言って、毎朝かならず2本つ”つ焼いて食うこと長年におよんだ。あるとき、屋敷に賊がおし寄せてきて一人で戦っていたら、武士が二人現れて、命を惜しまず戦って敵をみな追い返してしまった。” 普段は見かけないお二人ですがどなたさまですか ” と聞くと、” 長年頼みにして毎朝召しあがっていただいている大根です ” と言って消えてしまった。深く信心するとこういう功徳もあるものとみえる」

ここまでくると、大根大好きというより、一種の信仰である。味噌も醤油もない時代だ。焼いた大根に塩をふって食べたのだろうが、本当に毎朝2本の大根を食えるものかと首をかしげる。

きのどくなのは家族と使用人である。「大根は身体にいいんだ。もっと食べろ!」と主人に強制され、「勘弁してください」と逃げまわっている妻子や使用人の姿が目に浮かぶ。

これほど熱狂的な人は少なかったと思うが、こういう話があるところを見ると、大根は身体に良いんだぜ、と当時の人々はせっせと大根を食べていたのだと思う。


私はこの20年間、月1回1週間、東京から郷里の広島県の農園に帰り農作業をしている。昨年はコロナで帰れなかった。「東京からコロナを持って帰られたらたまらん。今帰ると村八分になるよ」と、一緒にやっている小学校時代の友人二人に言われて、郷里に帰らなかったからだ。そのようなわけで、この写真は一昨年につくった青首大根だ。

何年も中断すると百姓の腕がにぶってしまう。今年はぜひ農作業をやりたい。早くコロナが片付いて欲しい。近頃は奈良・平安時代の人々のように「疫病退散」を神仏に祈っている。英語は下手だが、祝詞(のりと)と「般若心経」は得意である。






2 件のコメント:

  1. 面白かったです。大根は100g辺りのカロリーが他の野菜に比べて低いようなのでそれが起因して害虫が発生しない気がします。写真にうつっている大根、大変立派な育ち方ですね。ご実家の農園で育てられたものですか?

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  2. 読んでくださりありがとうございます。はい。私が実家の畑でつくったものです。もっと大きな大根もありますが、このくらいの大きさが旨いです。これは干して、仲間が沢庵漬けにしてくれました。コロナが終息しないので、この連休も田舎の農園に帰れそうにありません。百姓の腕がにぶりそうで気にしています(笑)田頭

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