2021年2月15日月曜日

トルーマンとバーンズの陰謀(1)

 昭和天皇と鈴木貫太郎(13)

ルーズベルトは、多少の譲歩をしてでも、一日でも早く日本を降伏させようとしてグルーを起用した。ところが新大統領になったトルーマンは、二発の原爆を日本に投下するまでは日本を降伏させるな、との方針に変えた。

バーンズの影響がとても大きい。これを実行するため、二人は徹底した秘密保持をはかり、入念な小細工をほどこす。

ハリー・トルーマンは小物の政治家だ。多くのアメリカ国民・政治家・軍人はそう思っていた。彼自身、自分が小物と見られているという不安と劣等感をつねに持っていた。トルーマンの経歴はこうだ。

ミズーリ州の田舎町の雑貨屋の息子に生まれた。父の店が倒産したので大学には行けなかった。高校を卒業して銀行で下働きをして、ほどなく父のやる農業を手伝った。第一次大戦では、試験を受けて州軍の陸軍大尉として欧州戦線に参戦した。このような経歴で大尉になったのだから、努力家で、それなりの才能があったのであろう。現在だと、「下から這いあがった土の匂いがする大統領」と好意的に見られたかもしれない。

しかし、4歳年長のダグラス・マッカーサーが、大佐・師団参謀長として第一次大戦に出征し、まもなく少将・旅団長、その後師団長へと昇進したのにくらべると、月とスッポンである。ウエストポイント首席卒業のマッカーサーからみれば、「そんなやついたかなあ?」程度の認識だったと思う。

ミズーリ州選出の上院議員であったトルーマンは、45年1月のルーズベルト四選のとき、まぐれ当たりのかっこうで副大統領になった。そしてルーズベルトの急死により、まさかの大統領になってしまった。


原子爆弾の開発は、当然ながら国家の最高機密である。主導したのは陸軍だ。41年10月、原爆の開発が決定した時、この秘密を知る人は6人メンバーと呼ばれた。ルーズベルト大統領・ウォーレス副大統領・スティムソン陸軍長官・マーシャル参謀総長・ブッシュ博士(MIT工学部長→科学技術開発局長)・コリント博士(MIT教授)の6人である。海軍は加わっていない。

軍需物資の戦時動員局長だったバーンズが、職務上これを知ったのはかなり早く、43年である。統合参謀本部議長の海軍元帥・レーヒーが知ったのは44年9月だ。ドイツが降伏した45年5月7日に、陸軍長官・スティムソンは、海軍長官・フォレスタルと国務次官・グルーにこの原爆の秘密を明かした。

ワシントンがこのような状態だから、現場の太平洋方面の陸軍元帥・マッカーサーも、海軍大将・ニミッツも、また大西洋方面の陸軍大将・アイゼンハワーも、45年5月においては原爆のことは知らされていない。彼らがこのことを知るのは6月以降である。

じつは、副大統領だったトルーマンも、原爆のことは聞かされていなかった。それどころか、1月に副大統領に就任して4月にルーズベルトが急死するまでに、トルーマンがルーズベルトと二人だけで面談したのは二回にすぎない。ということは、政治・軍事・外交の重要問題については、トルーマンはまったく蚊帳の外に置かれていたのだ。原爆のことは、大統領になって陸軍長官のスティムソンから聞いた。


トルーマン






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