2021年3月15日月曜日

快男児・マックロイ

 昭和天皇と鈴木貫太郎(17)

私は長い間、広島・長崎への原爆投下を主導したのは陸軍長官のスティムソンだと思っていた。理由の一つは、彼が原爆開発を決めた時の6人メンバーの一人だったこと。いま一つは、戦後、「原爆投下しなかったら、さらに100万人のアメリカ兵が死んだはずだ」と国内向けに、原爆投下の正当性をうったえた、と聞いたからである。

今回、鳥居先生の著書や戦後50年を経て公開されたいくつかの機密文書を読んで、この認識は誤りであると知った。スティムソンは陸軍長官であるが、イエール・ハーバード両大学を卒業したアメリカを代表する国際派弁護士でもある。原爆の完成が近つ"くにつれて、彼は原爆の使用は戦時国際法に違反するのではないか、との懸念を持つようになった。

原爆投下の強硬な推進者は、民主党の文官であるトルーマンとバーンズの二人であった。これに同調したのが、同じく民主党の文官で開戦時の国務長官だったコーデル・ハルである。

陸軍・海軍の制服組の首脳が、原爆投下に関し意外に消極的というか、多くの人がこれに嫌悪感を持っていたことを知り驚いている。同時に、国務省のグルーやドーマン以外にも、陸軍次官補・マックロイや、海軍次官・バードのように、日本への原爆投下を何とかして避けたい、と懸命の努力した軍の文官がいたことを知った。この事実に、日本人としてわずかではあるが心の安らぎを感じている。

45年6月18日、ワシントンで軍の重要会議が開かれた。大統領・陸軍長官・海軍長官・参謀総長・軍令部総長・統合参謀本部議長・陸軍航空隊の大将が出席した。もう一人、場違いと思われる低い官位の人物が参加していた。陸軍長官・スティムソンの右腕で、50歳の陸軍次官補(武官でいえば少将クラス)のジョン・マックロイである。

弁護士出身で、第二次大戦後に初代の世界銀行総裁になるこの人は、ハーバード法学部卒業の人格者で、かつ正義感が強かった。孤軍奮闘していたグルーにとって、この15歳年下の大学の後輩は、いわば自分の分身ともいえるほど考え方が一致していた。

スティムソンは、自分やほかの高級幹部が口にできない雰囲気の原爆使用の問題を説くには、むしろ官位の低い人物のほうが良いと考えたのかも知れない。あるいは、一緒に仕事をしているうちに、老練の陸軍長官は28歳も年下のこのマックロイの正義感・人道主義に影響を受けたのかもしれない。

この半月前、バーンズは原爆開発にかかわった科学者を集めて会議をとりしきり、「できるだけ早く日本に対して原爆を投下する」「目標は都市とする」「事前警告はしない」との三原則、いわゆるバーンズ・プランを決定していた。科学者の一人が、「事前警告をしたほうが良いのでは」と発言した。「馬鹿なことを言うな。そんなことをしたら日本は公表した都市にアメリカ人捕虜を移すにちがいない」とバーンズは一喝してこの発言を抑え込んだ。


マックロイは、このバーンズ・プランに代わる案を説いた。というより、これに対して反論したのである。マックロイの考えの底にあったのは、「アメリカ合衆国の正義と名誉」であった。

「今すぐ、大統領が日本の天皇にあてて強硬な通達を送るのが望ましいと思います。すなわち、アメリカが圧倒的に軍事力優位にあることを伝え、日本政府に正面から降伏を求めるべきです。そしてこの通達の中で、戦後において日本が国家として存続する権利を認めることを明らかにすることです。すなわち、天皇の地位の継続を認めることです。このような申し入れをしても日本が降伏しない場合は、アメリカは革命的な威力を持つ、一つの都市を一撃で破壊できるほどの恐ろしい兵器を所有しているのだと明かすべきです。なおも降伏しないなら、これを使用せざるをえないと通告すべきです。なにも通告しないで、いきなりこの恐ろしい兵器を使用するのは、合衆国の正義と名誉を汚します」

このマックロイの正面きっての発言に、言いたくても言えない雰囲気の中に置かれていた軍の最高幹部のすべての顔に、驚愕の色が浮かんだ。


ジョン・マックロイ









0 件のコメント:

コメントを投稿