昭和天皇と鈴木貫太郎(16)
この日、45年6月18日の時点で、アメリカ大統領・国務省・陸海軍の首脳たちは、日本が戦争を終わらせたいと思っているとの情報をはっきりとつかんでいた。日本と欧州・ソ連間の暗号電報を、アメリカ陸軍の暗号解読班が完全に解析していたからだ。
昭和20年5月5日、東京のドイツ大使館付武官・ヴェネッカー海軍大将は、本国のデーニック海軍元帥に次のような暗号電報を送った。
「日本海軍のある有力幹部から次のような説明を受けた。戦況はあきらかに絶望的と見られることから、条件が厳しくても、どうにか名誉が保てる条件付きの降伏をアメリカが要求するなら、日本軍のあらかたは反対しないだろう」
このヴェネッカーという人は、戦艦大和の艦内に入ったただ一人の外国人である。呉鎮守府司令長官の海軍大将・野村直邦と仲が良かった。ドイツ駐在の長かった野村の骨おりで、彼は「大和」を見学したのだ。電報の中の海軍の有力者とは、野村大将のことだと思われる。
ところが、ベルリンのデーニック元帥がこの電報を読むことはなかった。4月30日に自殺したヒトラーは、デーニックを後任に指名した。そのため、彼は国家元首として5月5日には英・モントゴメリー元帥、8日には米・アイゼンハワー大将との降伏調印の現場にいた。この電報を読むどころではなかった。それではなぜ、この電報が残っているのか。いうまでもあるまい。この電報はアメリカ側に残っていたのだ。アメリカの政府高官と軍首脳は、その日のうちにこの電文を読んでいた。
7月に入って、トルーマンとバーンズはポツダムに向かう。ポツダムの宿舎に着いた直後、二人は驚くべき内容の電報を陸軍の暗号解読班から受けた。7月16日のことだ。それは、東京の東郷外相からモスクワ駐在の佐藤大使にあてた、次のような訓令電報である。
「天皇は速やかに戦争を終結することを念願している。戦争終結に向けてソ連の支援を要請する主旨を盛り込んだ親書を携えて、近衛文麿を特使として派遣したい」
日本政府、そして天皇までが乗り出してきた。日本は降伏してしまうのではないか。トルーマンとバーンズはあせった。
しかしこの電報の中にある、「無条件降伏でないところの講和の早急な実現を」天皇が希望しているという箇所を見て、二人は安堵する。日本が求める条件がなんであるか、二人にははっきりとわかっている。
このことは国務次官のグルーから、うるさいほど聞かされている。5月28日の会議でも、グルーはこの一点をトルーマンに強く迫った。その二日後の5月30日、共和党の元大統領・ハーバート・フーバーは、「降伏すれば天皇のことは問わない、無条件降伏の対象となるのは軍国主義者だけだと日本に告げるべきだ」とトルーマンに強く説いた。
なによりも、陸軍長官のスティムソンが7月2日に提出した対日宣言案(ポツダム宣言の原案)の中に、「天皇の地位の保全」がはっきりと記載されている。ちなみにこのスティムソンは、フーバー大統領の時に国務長官を務めた弁護士出身の共和党員である。イエール大学卒業の後ハーバードのロースクールに学んだ。
「宣言文の中からこれを削れば、当面日本が降伏することはあるまい。そうすれば、8月初旬に予定している原爆投下まで時間稼ぎができる」一瞬の不安のあと、トルーマンとバーンズの二人は安堵の色を浮かべたのである。
老練な政治家バーンズは、ポツダムに向け出発する直前、コーデル・ハルに電話して彼の意見を聞いている。日米開戦時の国務長官で、あの「ハルノート」で有名な対日強硬派の国務省の長老だ。ハルとグルーはおりあいが悪い。このハルの「おすみつき」を取っておくほうが後日のために都合が良い、とバーンズは考えたのだ。
案の定、ハルは「天皇条項の削除」をバーンズに強く勧めた。なおかつ、ありがたいことに、ハルはポツダムまで電報を打ってきて、執拗にこの自分の考えを主張した。トルーマンとバーンズにとって、この対日強硬派の元国務長官は、心強い援軍であった。
コーデル・ハル |
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