2021年3月22日月曜日

マックロイと米軍首脳の思い

 昭和天皇と鈴木貫太郎(18)

大統領トルーマンはあわてた。それでも、なにげないそぶりで、以前にスティムソンに語り、グルーに語ったのと同じ台詞(せりふ)をくりかえした。

「君が語ったことは自分が求めていることの中にある」と。そして「その案をバーンズ氏と相談してもらいたい」と答えた。またしてもトルーマンは逃げたのだ。会議書記の陸軍准将・ファーランドは、だれの指示を受けてのことか、マックロイの提案とトルーマンの応答を議事録から削除した。

それではなぜ、後世の我々がこれを知ったのか。アメリカ人のだれからも好かれたマックロイは、89年に94歳で亡くなった。マックロイと戦争中からずっと親しかったジェームズ・レストンというNYタイムズの大物記者がいた。引退したレストン氏が回想録の執筆に取りかかった時、マックロイの息子と娘が訪ねてきて、父が書き残した6月18日の会議での発言記録を彼に手渡したからである。「レストン回想録」は92年に発刊されている。マックロイとレストンは家が隣どおしで、家族ぐるみのつきあいをしていた。

このマックロイはハーバードの卒業であるが、かならずしも裕福な家庭の出身ではない。友人のレストンは、回想録の中で次のように語っている。

「マックロイは困った立場にいる人にとって、いわば磁石のようなものだった。率直で、勇気があり、快活で、人の意見を聞き、どのようなことでも、相手の立場に立って親切に解決する能力があった。生まれは貧しかったが、人生の大半を富者として暮らし、貧者と富者の双方の気持ちが理解できた。六歳で父親を失い、しっかり者の母親にペンシルベニアで育てられた。母は美容院を営み、マックロイがハーバード大学に合格すると、母親もボストンに転居してマックロイの面倒を見た」


マックロイ以外にも、ラフト・バードという海軍次官の言動にも心温まるものを感じる。この人は元シカゴの金融家である。原爆を使わなくても日本は降伏すると考えていたバードは、6月27日にスティムソンに次のような書簡を送っている。

「日本に対して原爆を投下する場合は、数日前に警告を出すべきと思います。この数週間で、日本が降伏の機会を探っているのは確実です。予定される三首脳会談(ポツダム会談)後に、我が国の使節が中国の沿岸部で日本の代表と会い、天皇の地位を認めることを含めて、降伏の条件を丁寧に説明することが大切です。このアクションで我が国が失うものは一つもありません」

海軍次官のバードは、大物陸軍長官のスティムソンが、トルーマンに対してまだ強い影響力を持っていると考えていたのだ。しかし、この書簡を受けたスティムソンにはこれを実行する権限はなく、バーンズの助言通り原爆投下を決心していたトルーマンに対して、それを変更させるだけの影響力もなかった。アメリカ合衆国の軍の最高指揮官は大統領なのである。

文官・武官を含め軍の上層部の多くが、原爆の使用に対して消極的で不快感を持っていたということが、あちこちの記録に見える。これはあながち、原爆投下のうしろめたさから逃げるための、彼ら自身の自己弁解ではない気がする。本心のように思える。

スティムソン陸軍長官の日記には次のようにある。

「ポツダムで原爆実験の結果について話している間に、アイゼンハワー将軍の気持ちが沈んでいくのを見た私は、つい心に思っていることを口に出した。つまり、日本はすでに敗北したようなものであるから、原爆の使用は必要ないと思うと。これに対してアイゼンハワーは、日本は今やなんとか面目を失うことなく降伏する道はないかと求めているのです、と答えた」

マックロイ陸軍次官補の日記には、「マーシャル参謀総長の考えは、まずこの兵器を海軍基地のような軍事目標に対して使い、それで成果がなければ、避難通告を出したうえで大工業地帯に投下するというものであった」とある。

統合参謀本部議長のウイリアム・レーヒー海軍元帥は、ルーズベルトから厚く信任された穏健派の提督である。この人の原爆に対する見方は異色であった。原爆に対しては最初から強い嫌悪感を持っていた。原爆の開発製造計画を知った時、「あんなものは科学者の妄想だ。爆発なんかするものか」と鼻で笑っていた。原爆実験が成功したあとでも、「原爆は一般市民を殺す。ハーグ条約・ジュネーブ議定書で禁止されている毒ガスや細菌兵器となんら変わらない。こんなものを使ってしまうと、アメリカの倫理は野蛮人と同じになる。合衆国の名誉のためにも絶対にこの爆弾は使うべきでない」とトルーマンに直接忠告している。

ニミッツ提督は戦後こう語っている。「日本との戦いは原爆で勝ち取ったものではない。原爆投下の前から日本は講和を模索していた」

太平洋方面の陸軍の総司令官であったマッカーサー元帥は、広島・長崎に原爆を投下するにあたって、何ら意見を求められていない。戦後マッカーサーは、「日本はほぼ敗戦を認めていた。原爆投下はまったく必要なかった」と語っている。マッカーサー付きの輸送機のパイロットだった人は、「将軍は原爆投下の後、何日もふさぎ込んでいた」と証言している。


思うに、これらアメリカ軍を率いていた将軍や提督は、日本に対する敵愾心は強かったものの、心の底に、中世の騎士的な精神を持っていたのではあるまいか。ひきょうなやり方での勝利はアメリカの名誉のために避けたい、との気分が強く感じられる。

しかし、トルーマンとバーンズの二人の文官は、原爆投下に向けてまっしぐらに突き進む。


ジョン・マックロイ






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