昭和天皇と鈴木貫太郎(20)
ポツダムのトルーマン大統領から、電報で指示を受けたワシントンのマーシャル参謀総長は、「8月3日以降に原爆を投下せよ」との命令書の草案をつくる。これを知ったスティムソン陸軍長官は、再度まきかえしに動く。
「日本に対する通告の中に天皇の地位の保証を加えるべきだ」と、7月23日、24日の両日説得した。しかしトルーマンは、「この宣言に蒋介石を参加させるためにこの文書をすでに重慶に送ったから、いまさら修正はできない」と逃げをうった。スティムソンは帰国のため25日にポツダムを発つ。トルーマンとバーンズの二人が、宣言を発表する前に、うるさいスティムソンを追い返したというのが真相らしい。
ここで、老陸軍長官は最後の粘り腰をみせる。「日本側は天皇の問題一つだけで決断できないはずだ。文書に入れることができないなら、天皇の地位の保証を、外交ルートを通じて口頭で伝えるべきだ」と説いた。
「自分も考えていることだから、まかせてもらいたい」とトルーマンは答えた。
このトルーマンのひと言には、とても深い意味がある。そしてトルーマンは、このスティムソンとの約束を守ったともいえる。原爆投下のための二週間の時間稼ぎをしたあとで。
「天皇の存在を認めなければ日本軍は絶対に降伏しない」と、じつは、トルーマンもバーンズも考えていた。この時、二人を含むアメリカの政治家・軍部の上層部がもっとも恐れていたのは、100万の支那派遣軍が破れかぶれになることだった。
天皇の存在を否定した場合、中国大陸にいる100万人の日本陸軍はおとなしく降伏せず、毛沢東と手を結ぶ恐れがある。そうなれば、蒋介石の国民政府など一瞬で崩壊する。毛沢東が中国大陸を制圧してソ連と組み、日本もそのグループに入る。戦後の世界秩序を考えた時、アメリカにとってこれほどの悪夢はない。これを絶対に阻止しなければならない。
日本人のだれもが気付かなかったことだが、アメリカが天皇制を認めようと考えた理由の一つに、支那派遣軍が行った「一号作戦」の成功があった、と筆者は考えている。
いま一つ、筆者には以前からとても気になっていることがある。どの歴史家も触れていないことで、筆者自身の想像に過ぎないかも知れないのだが。
ずいぶん前に、「日本の一番長い日」という映画を見た。昭和20年8月14日の二度目の御前会議のあとの映画のシーンである。「国体の護持」を心配して、ポツダム宣言受諾に納得しない阿南陸軍大臣が、なおも発言しようとする。この時、昭和天皇が「阿南、もうよい。心配するな。朕には確信がある」と優しく諭す場面である。
もしかしたら、中立国のスイス経由で、このことが天皇に伝えられていたのではあるまいか。ただ、スイス駐在公使・駐在武官の残した記録には、一切触れられていない。私が読んだ史書のいずれにも、このことは触れられていない。
天皇条項の入っていないポツダム宣言を受諾する旨の電報を、日本政府が発信したのは、8月10日午前6時45分である。「帝国政府はこの共同宣言に挙げられたる条件中には、天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざるとの了解のもとに、右宣言を受諾する」と返電した。
これに対する8月11日の返答は、バーズ回答といわれるもので、次のような電文である。
「降伏の時より、天皇及び日本政府の国家統治の権限は、降伏条項の実施のため、其の必要と認むる措置を執る連合軍最高司令官の制限の下に置かれるものとする」
婉曲ではあるが、天皇制の存続を否定していない。すなわち、二個の原爆を日本に投下するために、アメリカはこの天皇条項を二週間ほど隠していたのだと思う。
場所をポツダムに戻す。
7月26日、ポツダム時間午後9時20分。トルーマンは自分の宿舎に記者たちを集め、「ポツダム宣言」を発表した。
スティムソン・グルーの草案には共同署名国にソ連の名が入っていた。それを削り、中華民国主席・蒋介石の名を入れた。日本とソ連はかたちだけは中立状態にある。しかも日本は和平の工作をソ連に頼ろうとしている。しからばここではソ連の名は出さず、日本にソ連に対する期待感を持たせ続けるほうが、この宣言の受諾を遅らせるのに好都合だ、と二人は考えた。原爆投下に向けての時間稼ぎになるからである。
もちろん「天皇の地位の保証」は消してある。「原爆」の文字も、「異常な破壊力がある新兵器」との記載も避けた。
トルーマンとバーンズは、さらに念入りな細工をする。なによりも、この宣言が正式な外交文書と読み取られないように努めた。これも時間稼ぎのためである。正式な外交文書なら、米・英・支それぞれの利益代表国である中立国のスイス・スウェーデンを経由して日本政府に伝えなければならない。同時に返事の期限を示す必要がある。これらがなされていない。だれが見ても、宣伝文書にしか見えず、降伏を要求する正式な外交文書には見えなかった。
そして二人は、さらに念入りに細工をする。これを正式文書を扱う国務省ではなく、宣伝と広報を担当する戦時情報局に指示し、これを日本国民に伝えるべく対日放送せよと命じたのである。日本政府に対してではなく、日本国民全員に対する宣伝のかたちにしたのだ。
「日本政府がすぐに受諾しないように」と幾重にも小細工をほどこしたポツダム宣言は、このようして日本に向けて発信されたのである。
ポツダム宣言 |
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