私は以前から、夏目漱石という人は、猫より犬が好きな人ではあるまいか、と密かに思っていた。「草枕」や「三四郎」もそうだが、特に「坊ちゃん」は、猫好きの人が書いた文章とは思えない。なぜそう思うのかと聞かれても返答に困る。第六感である。
ただ、自信もないし、人に言うほどのことでもない。ずっと心の内に秘めていた。ところが、ほんの数日前、古本屋で買ったある人の本を読んでいて、漱石自身がその筆者に語ったという。「私は、実は、猫は好きじゃないんです。犬のほうがずっと好きです」と。
「我が意を得たり」とは、まさにこの事である。陶淵明や蘇軾なら「心欽然として」と詩に書くに違いない。私はここ数日、なんだか愉快でたまらない。漱石の項を終えるにあたり、この話をご紹介したい。
ある人とは野村胡堂である。明治15年生まれというから、小宮豊隆や安倍能成と同じころ一高、東大に学んだ人だ。「銭形平次捕物控」の作者でもある。そうかといって学生時代に漱石の門下だったわけではない。法科に学び、父親の死で学資が続かず潔く退学して「報知新聞」に30余年勤務した。漱石の家を訪問したのは、若い新聞記者の時代らしい。
以下は、野村胡堂の「胡堂百話」からの抜粋である。
私が、はじめて夏目漱石氏の書斎を訪ねた時、漱石邸には猫はいなかった。「あの猫から三代目のが、つい、この間までおりましたっけ」という話。惜しいことをした。もうひと月も早かったら「吾輩は猫」の孫に逢うことが出来たのだったのに。
「どうも、すっかり有名になっちまいましてね。猫の名つ”け親になってくれとか、ついこの間は、猫の骸骨を送って来た人がありました。どういうつもりか知りませんがね」さすがに、薄気味悪い顔だった。「で、四代目は、飼わないのですか」
「それなのです。私は、実は、好きじゃないのです。世間では、よっぽど猫好きのように思っているが、犬のほうが、ずっと、好きです」猫好きなのは、夫人の方だという。漱石研究の本にも、いろいろと書かれているようだが、私は、はっきりと、この耳で聞いた。好きでないから、冷静に観察できたのかも知れない。
私は、ひょっとしたはずみで、猫の孫にも逢わず、漱石門下にも加わらなかったが、漱石のあの風格は、忘れ難いものがある。江戸っ子らしい機才と、西欧流のユーモアと、それに深い学殖とが、三位一体となっていて、ちょっと形容の出来ない複雑な風格である。「漱石」とは記さず、「夏目金之助」とだけ書いたあの黒ずんだ標札と共に・・・・。