夏目君が、牛込薬王寺前町の小学校より、学校帰り余の家に立ち寄るには、麴坂を登りて来るを常とした。又帰宅のときは焼餅坂(やきもちざか)を下りて帰った。しかるに麹坂の麹屋に一人の悪太郎が居り、焼餅坂の桝本(ますもと)という酒屋にもまた悪太郎が居って、なおこれらの悪太郎を率ゆるに、鍛冶屋の息子で余等より四つ五つ年上なる大将がいた。
夏目君はいつも彼等のため種々な方法で虐めらるるから、いつか余と協力してこの町家の大将を懲らしてやろうではないか、と相談を持ちかけた。この時代はまだ士族の勢力が盛んで、町人の子供は一般に士族の子供に対して怖れを抱いていた。夏目君が学校帰り素手で四、五人の町人の子供に虐めらるるのであるから、その総大将を一人懲らせば後日の憂いなかるべしとの考えで、その機会が来るのを待っていた。
ある時、夏目君と余が、余の邸の裏門で遊び居れる時、かの鍛冶屋の悪太郎が独り、余等の遊べる方向に歩行し来れるを遥(はる)かに認めた。
余等は好機逸すべからずと、余は家内にかけ込みて何の分別もなく短刀二振りを持ち来りて、その一を夏目君に与えし時は、すでに悪太郎は十四、五間の距離まで近つ”いていた。当時は武士の切り捨て御免とかいう無上の権威が、なお町人やその子供の頭に残れる時分であった。武士の子供が短刀一本さえ携え居れば、年長の町家の子供四、五人を相手に喧嘩して、ついに逐い散らして勝利を収むることが出来たのである。
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