余等は、当時の子供のあらゆる悪戯(いたずら)を仕尽くしたる中に、極めて面白く思い、今もその時の光景を思い出しては、私(ひそ)かに微笑を浮かべることがある。
毎日午後の四時頃に、余が邸の板塀の外を22・3歳位の按摩(あんま)が、杖をつき笛を吹きて通過した。此奴(こやつ)盲人に似ず活発で、よく余等を悪罵(あくば)し、時には杖を打ち振りて、喜んで余等を追い廻わした。余等も折々土塊(つちくれ)などを投げつけて、彼を怒らせた。ある時学校で、夏目君と一つ按摩を嬲(なぶ)ってやろうと色々に協議した。ただしいつも矢鱈(やたら)に杖を振り廻すから、容易にその側に寄るわけにはいかぬ。
そこである時二人して、恰も按摩が塀の外を通過する頃、塀に登りてこれを待った。一人は長き釣竿の糸の先に付ける鉤(かぎ)に紙屑をかけ、一人は肥柄杓(こえびしゃく)に小便を盛りて塀の上に持ち上げて、按摩の通過を待つほどに、時刻を違えずやって来た。
一人は手早く紙屑に小便を浸して、釣り竿伸ばして魚を釣るが如き姿勢を取りて、小便の滴る紙屑を、按摩の額上3,4寸の所に降して.1・2摘小便を額上に落した。この後の按摩の挙動を思い起こす時は、今も笑いを抑ゆることができない。
笛を持てる左手にて、晴天に怪しの水滴の降りたるに驚きて、にわかに立ち留りて、てのひらに水滴を撫でて、すぐにその手を嗅(かい)でみる所作をなす。嗅いでその臭きを知るや、たちまち憤怒の形相となり、阿修羅王の荒れたるが如く、その近傍に人ありと察してか、左右前後に杖を風車の如く振り廻して、暗中人を探るがごとき状をなせども、人の気配なき為に、再び立ち留りて試案の体(てい)をなす。
この時更に又、額上に2・3滴を落せば、いよいよ荒れて杖を振り廻わす。最後に十分小便を浸したる紙屑を鼻頭に吊り下げて、小便を塗り付け、共に静かに塀を下りて逃げたことがある。この悪戯は子供心にもそぞろ罪深く感じて、申し合わさずも再びしなかった。
この頃、牛込の原町に芸名・玉川鮎之助という、日本流の手品師の芸人がいた。余はあるとき夏目君にこんなことを言った。君の名の夏目金之助というのは、なんだか芸人の様で少しも強かりそうでない。玉川鮎之助と余り異ならない。もっとえらそうな名に変じたらどうだと。夏目君は、僕も密かに気にしているが、親の付けた名前だから、今更変えることは出来まいとあきらめていると。
当時夏目君は武張(ぶば)ったことが好きで、後日文学を専門として、人情の微をうがつような優しい小説など書く人になろうとは思い寄らなかった。
0 件のコメント:
コメントを投稿