2022年2月14日月曜日

神戸の英字新聞社に入社・伊東16歳(1)

 伊東巳代治・こぼれ話(2)

伊東巳代治が神戸にある英国人キュッリーが経営する、英字新聞社「兵庫アンド大阪ヘラルド」に入社するのは、明治6年2月、本人が満16歳の時である。

英字新聞編纂の仕事で月給30円であった。当時の感覚では、1円は旧幕府時代の1両に相当する。明治5-6年の巡査や小学校教師の月給が4円で、明治13年の第一回の東京大学卒業の官吏の初任給が18円だったから、この30円は破格である。これに加え「キュッリー社長は自分に兵庫ホテルの一室を借り与え、英国の法律書を何冊も買い与え、衣服は英国人の仕立て屋で作ってくれ、自分を子供同様に厚遇してくれた」と巳代治はその感激を手記に書き残している。

この兵庫ホテル(英語名・オリエンタルホテル)は明治3年に開業した日本最古の西洋ホテルで、明治23年開業の帝国ホテルよりはるかに古い。

弁護士の仕事もしていた英国人社長が、巳代治をこれほど優遇したのは、彼の能力と人柄を愛したことが一番の理由であろうが、経済的な面での裏話がある。巳代治の手記を続ける。

「ほどなく、’’通詞(通訳)の伊東さん’’ と呼ばれて、居留地の外国人や貿易商人の間に名前を知られ信用を博した。各国の領事館にも出入り交際したる結果、通詞を置かざる領事館より、社長を介して自分を借りに来るようになった。1時間約30円、安きは20円位の金額で、これがみな社長の収入となる次第にて、社長は大いに自分を厚遇したり」とある。

なんのことはない。たとえば月に10時間ほど巳代治を通訳の派遣に出せば、社長のふところには200-300円のお金が入ったわけで、現在の人材派遣会社よりも、はるかに良い実入りがあったことになる。

明治15年頃の兵庫ホテル
前に見えるのは人力車







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