シルクロードのものがたり(12)
張騫「大月氏国」に向かう(4)
あと二回、「史記・大苑列伝」を続けさせていただく。
「大月氏は王が匈奴に殺されたので、その太子を立てて王にしていた。そして、このときは、新しい王は大夏国(現在のアフガニスタン北部)を臣従させて、その地に居住していた。地味は肥沃で侵攻してくる者はほとんどなく、安楽に日を送っていた。そして、漢とは遠く離れているので、漢と同盟して匈奴に報復しようという心がなかった。騫は月氏国から大夏に行ったが、ついに月氏の同意を得ることができず、1年余り逗留して帰途についた。南山(なんざん)に沿い、羌族(きょうぞく)の地を通って帰ろうとしたが、ふたたび匈奴に捕らえられた」
漢の武帝にすれば、「月氏王は匈奴に殺され、匈奴はその頭蓋骨を酒器にして酒盛りをしている」と聞いていたので、月氏の新王はきっと仇き討ちしたいはずだ、と考えていた。
しかし、ウズベキスタン南西部からアフガニスタン北部の、気候の良い豊饒な地で平和に暮らしている月氏の新王が、これに応じなかったことは現在の我々にも理解できる。短い年月でこの地域を支配下に置いたという事実は、月氏の新王は軍人・政治家としてよほど優れた能力を持っていたのであろう。
張騫の熱意ある雄弁をもってしても、月氏の新王は首を縦にはふらなかった。
「騫は月氏国から大夏に行った」というから、現在のウズベキスタン、トルクメニスタンを経由してアフガニスタンの北部まで行ったことになる。
「南山(なんざん)に沿い羌族(きょうぞく)の地を通って帰ろうとした」の部分が、どのようなルートか、私にはわかりにくい。「南山」と表記する山は、古代中国の本を読むとあちこちに見える。ただ、「羌族の地」という記述と、北アフガニスタンから長安に帰るルートを中央アジアの地図を眺めながら想像すると、張騫は「チベットの北部、すなわち崑崙(こんろん)山脈の南を東進したのではあるまいか」と考える。
「1年あまり逗留して」の記述から、月氏の新王は漢と同盟して匈奴を討つ話には同意しなかったものの、漢の外交官である張騫に対しては、敬意を表して彼を優遇したように思える。
ところがふたたび匈奴に捕らえられる。
このルートには匈奴人は住んではいなかったが、「羌族」というのが匈奴に敗北した後、匈奴の子分(属国)のような存在で、匈奴の見張り役的な存在であったからだ。
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