シルクロードのものがたり(11)
張騫「大月氏国」に向かう(3)
「史記・大苑列伝」を続ける。
「ところで、大苑(カザフスタン南部)の王は漢が物産豊かであると聞いて、交易したいと思っていた。そこで、騫を見ると、喜んで問うた。”そなたは、どこへ行きたいのか”
”漢のために月氏に使いしようと思ったのですが、匈奴に道を閉ざされてしまい、逃亡してきたのです。どうか王様、案内者に命じてわたしを送らせてください。わたしが月氏に到着して漢に帰ることができたら、漢は王様にたくさんの財物を贈ることでしょう”
大苑の王は、そのとおりだと思って、案内者と通訳とをつけて騫をおくり、一行は康居国(こうきょ・キルギス)についた。康居国では、中継ぎして大月氏国(現在のウズベキスタン・サマルカンドからプハラあたり)にとどけた」
匈奴の地のどのあたりに拘留されていたのかわからないが、ゴビ砂漠の西側あたりに10年間いたと仮定して、その行進のルートを次のように推測する。
アルタイ山脈の南を、西に向かって下僕の甘父と二人で馬に乗って進んだのであろう。すなわち、現在のウルムチあたりを通過して、天山山脈の北側を通って現在のカザフスタンの東側にたどりついた。いわゆる「天山北路」というルートである。その後、カザフスタン南部・キルギス北部あたりを通過して、現在のサマルカンド・プハラあたりにあった「大月氏国」に到着したと考える。
中学生の私は「月氏(げっし)」という漢字名から、中国人や日本人のような顔をしたモンゴロイドを想像していた。今回調べてみて、「月氏」はイラン系の民族だと知った。もともとはタリム盆地東部(ハミ、トルファン)あたりに住んでいたのだが、匈奴の攻撃を受けていったんは西方のイリ盆地(天山山脈の北東部)あたりに逃げた。その後トルコ系の烏孫(うそん)がイリ盆地に進出してきたので、月氏は再度移動して、現在のサマルカンド・プハラあたりに落ち着いた。この国を「大月氏国」と呼ぶ、と認識している。
ウズベキスタンの西瓜 辻道雄氏提供 |
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