2023年9月3日日曜日

シルクロードを旅した野菜(1)大根ー2

 シルクロードのものがたり(25)

大根(2)

大根にまつわる話は、日本には昔から数多くあるが、私が気に入っている話が二つある。これをご紹介したい。

一つは「徒然草」の第六十八段にある。このブログの読者は学問のある方が多いと承知している。現代語訳は不要と思う。兼好法師の書かれた文章そのままで紹介する。


筑紫に、某(なにがし)の押領使(おうりょうし)などといふ様な者ありけるが、土大根(つちおおね)を万(よろつ”)にいみじき薬とて、朝ごとに二つつ”つ焼きて食ひけること、年久しくなりぬ。あるとき、舘(たち)の内に人もなかりける隙をはかりて、敵(かたき)襲ひ来て、囲み攻めけるに、舘の内に兵(つはもの)二人出で来て、命を惜しまず戦ひて、みな追い返してけり。いと不思議に覚えて、「ひごろここにものしたまふとも見ぬ人びとの、かく戦ひしたまふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年来(としごろ)頼みて、朝な朝なめしつる、土大根にさぶらふ」と言ひて失せにけり。深く信をいたしぬれば、かかる徳もありけるにこそ。


以上が全文である。

鎌倉時代に九州に住んでいた警察署長さんの話である。若い警察官がお花見かなにかで、出払って、署には年老いた署長さん一人が留守番をしていたのであろうか。当時は警察署を襲う盗賊がいたようである。

「大根は身体に良い。薬になるのだ」と言って毎日二本ずつ焼いて食べたいたというから、相当大根に入れ込んでいた人である。味噌も醬油もない時代だから、おそらく塩をふって食べたのであろう。家族や使用人にも 「もっと食べろ!もっと食べろ!」 と勧めていたに違いない。妻子や使用人たちが、「かんべんしてください!」と逃げ回っていた姿を想像すると、なんとも可笑しい。

「深く信をいたしぬれば、かかる徳もありけるにこそ」という兼好法師の締めくくりも良い。「徒然草」を読むと吉田兼好という人は、当時の人としては合理的な考えの人であり、かつバランスのとれた常識人だとわかる。この話は誰かに聞いた話であろが、兼好自身がこの話を信じていたとは思えない。

それでは、なぜ、この話をあえて書き残したのであろうか。「一途に信じることの大切さ」を、後世に人に伝えたかったのではあるまいか。


私は昔から、この話が気に入っている。11月とか12月になると、自分がつくった自慢の聖護院大根の煮物を食べるとき、家族にこの話をする。「旨い、旨いと、お父さんは13回も言ったよ」と小学生の頃、娘は言っていた。その頃は神妙な顔でこの話を聞いていた娘も、大人になった今では「またか!」という顔でニヤニヤするだけである。

時おり機嫌のよい時には、「お父さんが困ったときには、きっと聖護院大根の神様が助けに来てくれるよ」と私をからかう。







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