2023年9月17日日曜日

シルクロードを旅した野菜(2) 玉ねぎ

 シルクロードのものがたり(27)

玉ねぎ

「太郎のルーツ」の中で、私は野菜の格付表をつくった。ムーディーズやS&Pやフィッチが行っている ”勝手格付” である。味の良さ・栄養価・生産量だけでなく、その野菜が日本史においてどのような貢献をしたかを考慮して、次のように格付した。


横綱 里芋・(大根)   大関 茄子・じゃがいも・(玉ねぎ)・キャベツ・白菜・トマト・(胡瓜)・生姜    関脇 長ねぎ・(ほうれん草)・(人参)・蕪・かぼちゃ・さつまいも・(西瓜)     小結 とうもろこし・枝豆・(そらまめ)・さやえんどう・隠元・ごぼう・レタス・(ニンニク・大蒜・葫)・ピーマン


当時の私は「里芋に惚れ込んでいたので」里芋を強引に「横綱」とした。これに関しては「えこひいきだよ!」とブーイングの声が多かった。しかし、大根を含めてそれ以外の格付に関しては「なるほど、、、」と異存はなかったような気がする。

このあと、前頭・十両などの関取衆が22ほど続くのだが、ここでは省略する。(カッコ)で印をつけたのが、西域からシルクロードを通って、わが日本列島に入ってきた野菜である。これからすると、現在我々が食べている重要野菜の約30パーセントが、シルクロードを経由して日本に入ってきたことになる。


さて、玉ねぎについてである。イラン・アフガニスタンあたりが原産地だと言われる。この野菜の種もラクダの背に乗ってシルクロードを東進したのであろうが、どうも新疆ウイグル自治区あたりでストップしたようである。古代に中国や日本列島には入ってきた形跡がない。漢・三国・晋。唐・宋の時代の物語や漢詩にも、玉ねぎのことは出てこない。なぜだか分らない。ラッキョの親玉みたいな外観が嫌われたのか、あるいは当時の中国や日本の料理にマッチしなかったのか、よくわからない。


中学生の時、本を読んでいて、「古代エジプトではピラミッドの建設労働者に、ビール・玉ねぎ・ニンニクを配給していた」と知った。塩味で玉ねぎ・ニンニクと肉を炒めて、ビールを飲み、パンを食べる。精力はつきそうだが、胸やけしなかったのだろうか?と心配でエジプトの労務者に同情した。高校生になって、「一緒に大根も配給されていた」ことを知ってほっとした。「良かった!口直しに生の大根をかじったのだ!」と嬉しい気持になった記憶がある。


日本には明治になって、1871年にアメリカから北海道に入った。本格的に研究栽培を始めたのが、あの札幌農学校である。10年ほど遅れて、別ルートで大阪に入った。現在でも北海道と淡路島が玉ねぎの一大生産地であるのは、このような背景によるのかと思う。当初は人気がなかったが、明治の中頃にコレラが日本で蔓延した時、「玉ねぎがコレラに効く」とうわさがたって、市民がこぞって玉ねぎを食べるようになったという話もある。

我々「中年開拓団」は、以前は種を播き、1000株以上も植え付けていたが市場には出荷しないので余って困る。現在では一束100本の苗を二束ほどホームセンターで買って11月頃植え付ける。毎年、それなりに立派なものを収穫できている。写真は2023年6月に私の農園で収穫したものである。






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