2023年9月24日日曜日

シルクロードを旅した野菜(3)胡瓜

 シルクロードのものがたり(28)

胡瓜・黄瓜(きうり)

中国の古書に「胡瓜は張騫が西方から漢土にもたらした」とあることから、この話は日本でも信じられてきた。ただ、先述したように、張騫自身が持ち帰ったとは考えにくく、張騫がこのルートを開拓したあと、その後の軍人や商人たちの手で漢に入ってきたと考える。

この胡瓜、現在の日本においては「大物野菜」と言ってよい。1990の統計で少し古いが、日本での生産量は93万トンで、胡瓜は大根・キャベツ・玉ねぎ・白菜に続き5位だが、金額ベースだと2300億円と1位なのである。当時すでに10年連続で1位だというから、スーパーに行けば一年中胡瓜の姿が見える現在でも、売り上げ金額では胡瓜が日本一だと思われる。

胡瓜の原産地は、インドのヒマラヤ山脈の南部といわれている。中国ではこれを大きく太らせて黄色になるころ収穫し、皮をむき、中の大きなタネを取り出して甘酢に漬ける。私は若いころ海運の仕事で頻繁に香港に行ったとき、この胡瓜の酢漬けを何度か食べたが、とても美味しかった。西域地方の写真集で、この胡瓜の酢漬けを老人が甕に入れて売っているのを見たことがある。「胡瓜」と共に「黄瓜」との漢字表記があるので、もともとはこの野菜は大きく黄色に売れた頃収穫したのは間違いない。


この胡瓜が中国から朝鮮半島を経て(おそらく百済経由だと思う)、顕宗天皇(在位485-487年)の御代に日本に伝来したとの説がある。聖徳太子が摂政になる100年ほど前である。ところが、それ以降、この野菜は日本ではあまり人気がなかったようである。

切り口が京都の祇園社の紋に似ているから食べると祟(たたり)があるとか、徳川家の三つ葉葵に似ているからとかの理由で、忌み嫌われたとの説もある。当時の胡瓜は苦みが多かったようである。江戸前期の「農業全書」には、「黄瓜またの名は胡瓜。下品の瓜にて田舎に多くつくるが、都にはまれなり」と評価は低い。

日本で胡瓜がかなり広く食べられはじめたのは、江戸時代も後半に入ってのことらしい。それ以降、明治・大正・昭和前期までは、庶民は「ぬか漬け」にして食べた。青い未成熟の胡瓜をサラダ感覚で生で日本人が食べ始めたのは、太平洋戦争に敗北して、アメリカの進駐軍が日本に来てからである。

この胡瓜の栽培方法は簡単である。肥料を十分やって、水を切らさなければ、だれでも立派な胡瓜を収穫することが出来る。






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