2019年7月25日木曜日

日本史の人気者・6位―9位

「日本史の人気者・番付表」を読んでくださった方々から、たくさんの声援を頂いた。
多くは、「なにをモタモタしているの。早く6位ー9位を発表したら」との声だった。

「俺は江川英龍を尊敬している。偉い男だよ。番付の中に入れてくれないか」との意見もあった。
確かにこの人は偉い。お台場や伊豆・韮山に反射炉を建設し、佐久間象山・橋本佐内・桂小五郎の師匠でもある。ただ、日本史の人気者・10傑には無理があるような気がする。

意外だったのは、最澄と北条泰時の名前が、何人もの方々から挙がったことである。
「むむ、おぬし、できるな!」と思った。
この2人の名前を挙げた人は、相当深く日本史を勉強された方だと思う。今回の人気者10傑には当たらないが、日本史の偉人10傑には入れるべき人物と考える。

先日、畏友のAさんとランチを一緒して、これらを含めてお話を伺った。
この人は、歴史検定1級に5回合格して、「歴研日本史博士」の称号を持っている。
日本史の達人で、並みの大学教授などこの人の前に出ると「青菜に塩」だ。

そのAさんがおっしゃる。

「この設問自体に無理がありますね。時代時代において人物の評価は変わります。たとえば日本武尊を例にとると、明治以降の日本人から見たら突出した英雄でしょう。ただ、当時の九州や東国の人々からしたら、とんでもない侵略者です。嫌な奴だというイメージは、それらの地域では数百年以上は続いたのではないでしょうか」

玄人ならではのコメントである。なるほどと思った。

「人気者6位―9位」の表をお見せしたら、「まあ、こんなところですかね」と肯かれた。あまり難しいことを言うと、私がいじけて、やる気をなくすと思われたのかも知れない。

日本史の流れを変えたという視点からして、私は源頼朝という人をすこぶる尊敬している。
弟の義経の、武人としての才能と功績は高く評価するものの、平家打倒のあと鎌倉への帰路、兄の了解もなく後白河法皇から官位を受け取ったのはいただけない。兄・頼朝の怒りはよく理解できる。

それでも、人気者ということになると、頼朝より義経が格段に上、ということは認めざるを得ない。

北条時宗好きの私としては、なんとかして時宗をこの表に入れたかった。しかしそうすると、他の誰かを落とさなくてはいけない。涙を呑んで、時宗はリストに入れなかった。

さて、Aさんのお力を借りながら、私が選んだ人気者の6位―9位は次の通りである。

6位  源義経
7位  坂上田村麻呂
8位  和気清麻呂
9位  楠木正成





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