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蒲松齢(ほしょうれい)の「聊斎志異」(りょうさいしい)の中にある「酒虫」という小説だ。
蒲松齢を紹介するのに格好の材料がある。福田定一という20代の新聞記者が書いた「黒色の牡丹」の一節である。プロの作家ではない。いわば修行中の作家の卵の作品だが、後の司馬遼太郎
だから、その筆力には迫力がある。ここでは、この福田さんの筆を借りる。
西紀1700年前後といえば、中国の清、康熙帝(こうきてい)のころである。山東省淄川(しせん)の人蒲松齢は、八十を過ぎてなお、神仙怪異を好むことをやめなかった。
鄙伝(ひでん)によれば、この人、毎日、大きな甕(かめ)をかついで往来に据え、旅人を見れば呼びとめて茶を馳走したという。さらにその横にタバコが用意してあって、喫茶がすむとそれを勧める。
無料である。しいていえば、談話取材料がその茶とタバコとみるべきであろうか。旅人を呼びとめては、咄(はなし)をせがむのである。それも通常のものではなく、何か諸国を歩くうち、妖怪奇異を見聞しなかったかということなのだ。
「聊斎志異」十六巻、四百三十一節の怪異譚はかくて出来あがった。こんにち、世界最大の奇書といわれ、中国人の卓越した想像力と、ふしぎなリリシズムを代表する説話文学として不朽の賞讃をうけている。
「酒虫」はこの四百三十一節の中でも、とびきり短い作品だ。本文は次のとおりである。
酒虫(しゅちゅう) 立間祥介 訳
長山県(山東省鄒平・すうへい)の劉某(りゅうなにがし)はまるまると肥っていた。
酒好きで、一度飲み出すと一甕(ひとかめ)空けてしまうのが常だった。城外に百畝(うね)あまりの田畑を持っていて、その半ばに酒を醸(かも)すための黍(きび)を植えていた。
素封家だったので、酒代くらい高がしれたものだったが、ひとりの異人の僧がその顔を見て言った。
「なにかおかしなことがおありでしょう」
「いや」
「いくらお飲みになっても、酔わないとかいうことはありませんか」
「そういえばそうだ」
「それは酒虫のせいです」
驚いた劉が、治療ができるものだろうかと問うと、「簡単になおせます」、
「薬は」と聞くと、「何もいりません」と言って、劉を日向に俯(うつぶ)せにさせ、手足を縛りつけて、顔の先三尺ばかりのところにうまい酒を入れた椀を置いた。
劉はまもなく喉がからからになってきた。渇きは鼻を衝(つ)く酒の香りによってますます激しくなり、どうにも堪えられなくなった。
そのとき、喉の奥が急にむずむずしたかと思うと、わっと何かを吐出し、それがもろに酒のなかに落ちた。
縄を解かれ、つくつ゛く見てみれば、長さ三寸ばかりの赤い虫が魚のように酒の中を蠢(うごめ)いていた。目も口も揃っている。
劉が驚いて礼を言い、礼金を差し出すと、僧は受けようとせず、ただその虫を貰いたいという。
「こんなものが何かお役に立つのですか」と聞くと、
「これは酒の精で、これを水を入れた甕に入れてかき回せば、うまい酒になるのです」という。
試させてみると、その通りだった。
以来、劉は酒を敵(かたき)のように憎むようになった。そのうち次第に痩せ細り、日毎に貧しくなって、三度の飯にも事欠くようになった。
以上がこの作品の全文である。
私がブログでこれをご紹介するのには訳がある。
というのは、何回これを読んでも、筆者の蒲松齢が何を言いたいのか、さっぱり分らないのだ。
怪異譚だから、不思議で気味悪ければ、それだけで充分価値があるのかも知れない。しかし、他の節を読むと、なるほど筆者はこういうことが言いたいのだな、となんとなく見当がつく。
この「酒虫」だけは、それがまったく分らない。
これを読まれた方から、「こういうことを言いたいのだと思うよ」とのご意見があれば、ぜひとも教えていただきたいのだ。
追記:
この「酒虫」の画像探しに苦労した。
これから察すると、みみずに目と口を付けた魚らしきものを想像する。ドジョウの子供を赤っぽくすればこれに近いか、とも思う。
しかし、ぴったりの画像がない。何もないのも淋しい。よって家のどんぶりに高級な純米酒(天狗舞)を2合ほど入れて写真に写した。
「酒虫」の姿は、読者の方に想像して頂ければと思う。
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