こうして一高の寮に行って、夜の9時・10時までしゃべっている。一高の門限は9時なんだ。
「門が閉まるから、俺帰るよ」
「いや、門を越えて行けばいい。もう少しいろよ」なんて、夜遅くまで引きとめるんだ。そのうち、川端は度胸のいい奴だから、「この部屋は8人だが、1人や2人はうちに帰ったりどこかの女の所に泊まりよる。誰かの空いている布団にもぐりこんで泊まっていけばいいよ」と言う。
それで俺はもぐり込むんだけど、寝ていると夜中に帰ってくる奴がいるんだ。
「あれ?誰か俺の床にもぐっている」
「うるさいなあ。足元から入って寝ろ」
無茶苦茶だよ。俺は枕を占領して、向こうは座布団を折ってな。今日はこっち、明日はあっちで、もう家には帰らない。
一高前に「のんき」というおでん屋があって、そこに行って俺は飯を食うんだ。そうしていると川端が、「そんな無駄せんでええやないか。寮の食堂に行こうや。食いに来ない連中がいるからそいつの分を食え。別に学校に迷惑かけないし、政府にも損害をかけることにはならん」
「ああ、それはいい考えや。行こう」と俺も一緒に食堂に行って飯を食うんだ。
ただ、月謝納めてないから、教室には入れない。一高はちゃんと出欠をとるからね。東大になると、もう誰が入ってもわからない。一高の教室に入れないかわりに、奴らの使っている本を読んで勉強するんだ。当時、一高の入学式は9月だった。その9月の末か10月には、もう一高の寮に入りびたりだったから、ほとんど高校・大学を出るまで、川端と一緒に暮らしたようなもんだ。こうやって、とにかく一高の3年間が終わった。
川端たちが東大に入ったんで、俺も今度は東大にかよいはじめた。なにしろ、うちが東大のすぐ前の西片町だから、毎日のように東大に通って、いろいろな授業を聞いていた。
そうしたら、ある日、川端が、「ブラブラ大学に来ても面白くない。どうだい、劇研究会でもやらないか?」と言うんだ。「それ、どうやるの?」
「銭もあんまりないから、月に一度ぐらい芝居見て、その批評でもし合ったら面白いんじゃないか」
「ああ、面白いね」、「じゃあ、あした教室で提案しようじゃないか。それ、おまえ言えよ」
「そりゃおかしいよ。俺はここの学生じゃないんだから。川端、おまえ言えよ」
「俺は口下手だからダメだ。おまえ、おしゃべりだから、おまえ言え」
しょうがないから、俺が喋ることにしたよ。
十何人かの仲間が集まったので、みんなで歌舞伎を1・2回見に行った。すると川端がみんなの前で、「銭出して切符を買って、意味ないじゃないか。松竹に交渉して東大の劇研究会だから、と言って半額にしてもらう方法はないのか。君らの誰か、行ってくれる人はいないか?」
「いや、ぼくらは田舎から出てきたばかりだし」って、みんなおじけつ゛くんだ。
そうしたら川端がまた、「おまえ行け」と言う。みんなも、「今さん行ってください。やっぱりこういうことは東京の人がいいや」と、俺が行くことになっちゃったんだ。
それで、俺は川端をひっぱって松竹の受付まで行ったんだが、川端はどうしても中に入らない。しかたがないから、俺だけが松竹の偉い重役に会った。趣旨を話すと、「そういうわけでしたら、今後私どもでご招待します」と言って、招待券を30枚もくれたんだ。翌日教室で配ったら、劇研でない連中まで切符よこせって大騒ぎになってな。まあ、みんな大喜びだった。
こんなことをしているうちに、俺がモグリ学生だってことが、みんなにわかってきたんだな。でも、ニセ学生で女をひっかけているわけじゃなく、実際に教室で勉強しているわけだろう。だから、「今ちゃんは、きっと家の事情かなにかで学資がなくてやっているんだろう」と騒ぎ立てないで、そっとしておいてくれたんだ。それともう一つ、俺がみんなにとって必要な人間になっていたから、彼らも大目に見てくれていたんだろうな。
そんな調子で、川端がいつも俺をけしかけては、俺が音頭取りみたいなことをやっていたので、今でも役人や政治家になった法科の奴らに会うと、「あのじぶん、文科では、今さんはたいしたもんでしたね」って、みんな知ってるの。
「俺は大学卒業じゃないよ」
「でもなんだか知らないけど、よく教室に来てたじゃないですか。名前もよく聞きましたよ」なんてね。妙な一生だったな。
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