友人たちと酒を飲みながら、草薙剣について私が熱っぽく語っていると、その中の一人が軽蔑と憐みの表情でこう諭してくれた。
「お前、馬鹿だなあ。草薙剣を含めて今残っている三種の神器はみなニセモノなんだぜ。本物はぜんぶ安徳天皇と一緒に壇ノ浦に沈んだんだよ」
「本物の三種の神器」は残っていないのか?残っているとしたら今どこにあるのか?
この辺りを検証してみたい。
平家滅亡の際、三種の神器は、壇ノ浦で安徳天皇入水のおり海に没したとされている。
「平家物語」・「吾妻鏡」その他の伝承には多少の差異はあるが、この時の様子はおおむね次のようであったらしい。
按察局(あぜちのつぼね)が安徳天皇を抱き、天皇の祖母の二品禅尼(にほんぜんに・平清盛の娘・平時子)が草薙剣を腰に差し、海に飛び込んだという。
この瞬間の鏡と勾玉についての描写はないが、その後、この二つが海上に浮いているのを片岡太郎経春という武士が取り上げて回収し、都に持ち帰ったという。剣は箱から取り出されていたので水没し、あとの二つは箱に入っていたので浮いていたという。
その後、後鳥羽(ごとば)天皇より二十数年間は、皇居清涼殿の剣を代用していたが、承元(じょうげん)4年(1210)順徳天皇が即位した時、伊勢神宮から新たに宝剣を得て、この剣が現在まで草薙剣の分身として皇居に伝わっている。
「三種の神器」の現在の所在については、稲田智宏著・「三種の神器」(学研新書)に詳しく書かれている。私はこの稲田先生の説明に全面的に納得している。
三種の神器は、実は5つある。
まず、東京都千代田区の皇居にあるものは、次の通りである。
「草薙剣・くさなぎのつるぎ」(分身)
「八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま」(本体)
「八咫鏡・やたのかがみ」(分身)
草薙剣と八尺瓊勾玉は、天皇・皇后の寝室のとなりに設置された剣璽(けんじ)の間に安置され、八咫鏡は宮中三殿の中央に位置する賢所(かしこどころ)に祀られている。勾玉だけが神話時代から伝わる本体であり、鏡は第十代崇神天皇のときに鋳造された分身であり、剣は壇ノ浦の合戦のあと伊勢神宮から得た分身である。
「草薙剣」の本体は愛知県の熱田神宮にあり、「八咫鏡」の本体は三重県の伊勢神宮にある。
このように、神話時代からの「本物の三種の神器」のすべてが、日本に現存している。
私はこう固く信じている。
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