2020年1月17日金曜日

三種の神器の危機

壇ノ浦の合戦だけでなく、日本史の中で三種の神器は何度も危機に瀕している。

南北朝時代はこの三種の神器の奪い合いの時代ともいえ、この時代には三種の神器をめぐる興味深い話がたくさんあるが、省略する。

ここでは、つい最近の三種の神器の危機についてご紹介したい。75年前の話だが、二千年の日本史からみたら、つい最近、と表現しても許していただけると思う。

終戦の詔書の草案は、鈴木貫太郎内閣の書記官長(官房長官)であった迫水久常(さこみず・ひさつね)が書き、安岡正篤・川田瑞穂の二人の学者が朱を入れ、昭和20年8月14日の閣議で決定し発表された。

迫水氏の著書「大日本帝国最後の四ヶ月」の中に、その時の閣議の緊迫したやり取りが生々しく書かれている。

「戦局必スシモ好転セス」
「然レトモ朕ハ時運ノ趨(オモム)クトコロ」
「万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」
などの箇所を決める時のエピソードは有名である。迫水氏は、これら以外に三種の神器に触れるか否かで激論があったと述べておられる。氏の著書から引用させていただく。


詔書の草案については、他にもニ・三箇所修正が行われた。
成文のなかに「朕ハ茲(ココ)ニ国体ヲ護持シ得テ爾臣民(ナンジシンミン)ノ赤誠ニシンキシ常ニ爾臣民ト共ニ在リ」という一節があるけれども、草案の段階では「朕ハ爾臣民ノ赤誠ニシンキシ常ニ神器ヲ奉シテ爾臣民ト共ニ在リ」となっていた。

この中の「神器ヲ奉シテ」が問題になった。
草案をつくるにあたって、この部分には私もいささかこだわった。終戦の詔書は、日本の全国民に陛下のお気持ちを伝えるものだから、当時の常識として三種の神器の存在を表現に出すのは当然のことと思われたが、ある閣僚は、日本国民に読んでもらうと同時に連合国側に対しても日本の進むべき方向を示すものだから、修正したほうがよいと提案した。

その閣僚は、石黒忠篤(いしぐろただあつ)農相である。石黒農相は、つぎのような理由で「常ニ神器ヲ奉シテ」の字句を削除するべきだと主張した。

「米国などは、いまなお、日本の天皇に神秘的な力があると信じている。にもかかわらず、こんなことを書き記しておくと、天皇の神秘力の源泉が三種の神器にあると考えるにちがいない。そうなると、連合国では、神器についてあれこれ詮索しないとも限らない。無用な混乱を防ぐためにも、この部分は削除したほうが良いと思う。起草者の気持ちはよくわかるし、日本国民の一人としては同感だが、やはり、削るほうがよいのではあるまいか」

わたしもなるほどと思ったので、固執することなく、削除に同意した。


この時の閣議に参加した国務大臣(情報局総裁)・下村海南(しもむら・かいなん)氏の手記にも、
「こんなことを書くと連合国側が、三種の神器を出せ、と言ってアメリカに持ち帰る恐れがある。隠しておくにかぎる、と石黒農相は強く主張した」とある。

この石黒農相の反対がなかったら、もしかしたら三種の神器はアメリカに持ち帰られ、スミソミアン博物館に飾られていたかもしれない。

ごく最近にも、三種の神器の危機があったのである。












2 件のコメント:

  1. 先を読むというのは重要ですね。石黒農相の発言がなければ、彼が懸念したようになっていたと思いました。

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  2. ありがとうございます。その可能性はありますね。ただもしそうなっていたとしても、日本国民の強い希望により、昭和27年のサンフランシスコ講和条約、もしくは沖縄返還の時、還してもらっていたような気もいたします。田頭

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