コロナ禍のおかげで、このニヶ月間珍しい体験ができた。
本業は暇である。お客様や仲間との飲み会はない。二つのヨットレースも中止になった。田舎の農園での農作業も、「帰るな、帰るな、東京からコロナを持って帰られたらたまらん」と地元の友人たちからは嫌われてしまった。
こうなると、自宅での読書以外にはやることがない。
今まで気になっていたが丁寧に読んでいない本を、書棚から取り出して読んでみた。
その一つが「昭和万葉集」である。本物の「万葉集」も少しだけ読んでみた。
「万葉集」はご存じのとおり、奈良時代末期にできた「現存する最古の和歌集」で、天皇・皇后・貴族から下級役人・防人・農民など、さまざまな身分の男女の歌4,500首が収められている。
中学か高校の頃、「あをによし 奈良の都は咲く花の 匂ふがごとき今盛りなり」という歌を教わった。この時奈良時代とは、はつらつとした希望に満ちた良い時代だったのだなあ、と思った。
東大寺建立の際には、中国人やインド人の僧も参列して異国の音楽が演奏されたと聞き、国際色豊かでみんなが生き生きと生活していたのだと思っていた。
ところがその後、「続日本紀」を読んでみて、奈良時代が栄光と同時に、天然痘の流行やたび重なる地震で、日本人がとてつもない困難の中で生きていた時代だったと知った。
先ほどの歌は、小野老(おのの・おゆ)という大宰府の役人が、都をなつかしんで、心の中の奈良の都を美化して詠ったもののようだ。天然痘の流行では、当時戸籍に載っていた日本人の三分の一の150万人が亡くなった。この時の太政官の大臣クラスだった、藤原不比等の4人の息子全員がこの天然痘で亡くなっている。
奈良時代とは、広義では、「710(和銅3年)に元明天皇が平城京に遷都してから794(延暦13年)に桓武天皇が平安京に遷都するまでの84年間」、狭義では、「784(延暦3年)に桓武天皇が長岡京に都を移すまでの74年間」といわれる。
64年続いた昭和の時代より、ほんの少し長いだけである。
この昭和の時代も、奈良時代と同じく、栄光と困難の両方を国民が味わった時代である。
「昭和万葉集」は昭和54年から翌年にかけて、全20巻で講談社から出版された。激動の昭和の人々の「心」を後世に伝えたいとの意図があったのだろう。土屋文明・土岐善麿などの大物歌人が編集顧問になり、万葉集と同じく天皇・皇后以下あらゆる階層の日本人の歌8万2千首が収められている。
全部を丁寧に味わうには、コロナの2ヶ月の外出自粛期間ではむずかしい。ざっと目を通し、日本国民が塗炭の苦しみに遭遇した昭和16年から22年までを収めた、第六巻、第七巻の中に心打たれる歌が多いと感じた。
当時の方々の「心」を少しでも理解したいと思い、その中から約300首を選び、一冊のノートに丁寧に写してみた。三分の一ほどをこのブログでご紹介したい。
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