昭和天皇と鈴木貫太郎(4)
組閣の翌日4月8日の朝、鈴木総理は内閣書記官長(官房長官)の迫水久常(さこみず・ひさつね)に次のように言った。
「わたしは今後の戦争指導についてとくと考えなければならないと思うが、陸相入閣の時に陸軍が示した条件のこともあるので、ここしばらくは静観していかなければいけないと思っている。陸軍の連中は徹底抗戦を主張しているようだが、いまの日本にはほんとうに戦争を続けていくだけの力があるかどうか調べてみる必要がある。和戦いずれの道をたどるにしても政府としては ”国力の現状” をつかんでおかねばならない。ご苦労だがなるべく広い範囲にわたって国力の調査をしてくれないか。調査機関の設立と人選のすべてを一任する」
これを実行するには陸軍の協力が絶対に必要である、と迫水は考える。このとき、日本国内の工場という工場は軍需工場の指定を受け、すべての工場に軍の佐官・将官クラスが監督官として派遣されていた。よってこの調査機関の長官には軍部が信頼してくれる人でなくてはならない。
迫水には心当たりがあった。彼が大蔵省から企画院に課長として出向していた時の上司であった、軍人エコノミストの秋永月三・陸軍中将である。陸大卒業のあと東京帝大経済学部に3年間学んだこの将軍は、その人柄・能力ともに申し分ない。この秋永中将を総合計画局長官に任命し、直ちに調査が開始された。
石炭・鉄・アルミニューム・航空機・鉄鋼船舶・木造船舶・各種特攻兵器・製紙・繊維の生産量だけではない。米・麦・芋・魚・肉・野菜・食油・塩・砂糖などの食糧の生産量、さらには満洲からの大豆・塩の輸送手段までを含めて、広範囲の調査が行われた。
その調査報告は6月初旬にまとめられたが、調査の途中経過はそのつど、迫水が鈴木総理に報告していた。
その報告結果は、「物資欠乏の中ではあるが、昭和20年の8月もしくは9月までは、かろうじて国民生活を営むことができるが、それ以降の国民生活は破綻する」というものであった。さらには、「この冬には二千万人の餓死者が出る可能性がある」という驚くべき報告もあがった。戦争の継続どころの話ではない。
いまひとつの「国際情勢ノ判断」の研究結果は、「ソ連は欧州の兵力を極東へ回しはじめている。9月末あたりから満洲への侵攻か可能な状態になる」というものであった。
ただこの調査結果は、ごく限られた者だけが知り、国民には知らされなかった。
迫水久常 |
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