2020年12月7日月曜日

鈴木貫太郎の登場・4月7日

 昭和天皇と鈴木貫太郎(2)

昭和20年4月6日午前5時、鈴木貫太郎は自宅の床を離れた。冬に戻ったような寒さで、部屋の寒暖計は摂氏4度を示している。

組閣を成功させるには陸軍の協力を得ることが最重要である。昭和12年、陸軍が陸軍大臣を推薦せず宇垣一成は組閣できなかった。陸軍は鈴木を和平派であると思い、不信感と警戒感を抱いている。

午前9時半、鈴木貫太郎はまっさきに市ヶ谷台に陸軍大臣の杉山元を訪ねる。鈴木は杉山に向かって、「このたび大命を拝しました」と挨拶し、陸軍の協力を要請し、陸軍大臣の推薦を求めた。杉山はそれを制し、陸軍側の要望を述べ、それを記した書面を手渡した。鈴木はこれに難色を示すであろう。それを理由として、陸軍大臣を出さないと言い張り、鈴木内閣の成立を流産させる肚(はら)であった。

1、アクマデモ大東亜戦争ヲ完遂スルコト 2、ツトメテ陸海軍一体化ノ実現ヲ期シ得ル如キ内閣ヲ組織スルコト 3、本土決戦必勝ノ為ノ陸軍ノ企図スル諸施策ヲ具体的ニ躊躇ナク実行スルコト

鈴木はこれに目を通し、「まことに結構です」、とはっきり言った。

あっけない返事が返ってきて、杉山はとまどった。次の陸相に阿南(あなみ)大将を推薦すると言わなければならなくなった。細かいことは阿南大将と相談すると答え、鈴木は立ち上がった。会談はわずか数分で終わった。

隣室にいた次官の柴山兼次郎と人事局長の額田坦が顔を見合わせ、どちらともなく、これはまずい、と言った。鈴木を送って廊下まで出た杉山が戻ってきた。

「もう一度、とくに第一項について、鈴木大将の肚をしっかりとたしかめて頂きたい」と柴山が言う。杉山も軽くいなされたような気がしていたので、一瞬、鈴木のあとを追おうかと考えた。だが鈴木はすでに階段を降り、車寄せに向かっていた。

4月6日の朝からはじまった組閣工作は、しばしば空襲によって中断したが、7日夕刻には見通しがついた。こうして鈴木内閣の親任式は4月7日の午後10時半から皇居で行われた。組閣が終わったあと、鈴木総理は大宮御所に貞明(ていめい)皇太后を訪ねた。












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