2020年12月14日月曜日

貞明皇太后の涙

 昭和天皇と鈴木貫太郎(3)

鈴木総理が立ったまま組閣の報告をすると、貞明皇太后(ていめい・こうたいごう)は特に鈴木に椅子を与え、しみじみとした口調で言われた。

「いま陛下は国運興廃の岐路に立って、日夜苦悩されている。鈴木は陛下の大御心(おおみこころ)をもっともよく知っているはずである。どうか親がわりになって陛下を助けてあげてほしい。また、国民を塗炭(とたん)の苦しみから救ってほしい」

こう話されたあと、皇太后はほおに涙を流された。

皇太后は、一刻も早く戦争を終わらせねばならないと考えている。

「この戦争は負けです。そのための準備をしなければならない」とある人からはっきりと言われたのは、昭和19年12月26日のことである。

ある人とは、静岡県三島の龍澤寺(りゅうたくじ)住職の山本玄峰(やまもと・げんぽう)である。79歳の山本玄峰は人を心服させる力を持っている。皇太后は沼津の御用邸で山本と会った。皇太后は山本を大変尊敬している。この貞明皇太后の気持ちは、あたかも飛鳥朝における持統女帝の僧・道照(どうしょう)に対する崇拝の気持ちと同じであった。それまでも、早く終戦を、と考えていた皇太后の気持ちはこの山本のひと言で決定的になった。


この日4月7日、海軍省・軍令部には二つの悪いニュースが入っていた。

ひとつは戦艦大和の沈没である。ミッドウェー海戦・マリアナ沖海戦の悲報を耳にした時は、だれもが足元が崩れ落ちるような気持ちがした。今日はそのような衝撃はない。あるのは、やはりやられたかとの気持ちと、深い悲しみと悔しさだけである。

いまひとつは、三菱重工名古屋航空機製作所の致命的な損害である。B29は正確に600発の爆弾を工場敷地に投下し、工場の機能は麻痺してしまった。海軍省も軍令部も、大和の沈没よりこの損害の大きさに落胆していた。何人かの者は、戦争の継続は無理ではないかと思った。


しかし、日本軍の戦意はまったくおとろえてはいない。

沖縄に陣取る陸軍の第三十二軍は、数倍の火力を有すアメリカの上陸軍に対して果敢な戦闘を繰り広げている。沖縄の中学生で組織する、14歳から16歳の少年兵「鉄血勤皇隊」は米軍に体当たり攻撃をかけている。少年たちの567名が陸軍二等兵として戦死した。

海軍・陸軍航空隊の特攻機は、4月6日の一日で297機が沖縄周辺の敵艦隊に突入した。4月7日以降も数多くの特攻機が、九州の各航空隊から、連日沖縄に向かって続々と出撃している。






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