長いあいだ「シルクロードのものがたり」という題で、転職に関係ないことを掲載してきた。「人材紹介会社だろ、もっと仕事に関係あることを書いたら」と、お叱りに近いアドバイスをいただいたこともある。もっともだと思う。
ごく最近のことだが、「小さい会社だが定年90歳の会社が東京の港区にあるらしい」という噂を聞いた。この会社のことは、おしまいの項でお話ししたい。
そこで、「明治以降の定年」・「奈良時代から平安時代の定年」・「江戸時代の定年」・「定年90歳の会社」・「大学卒の初任給50万円」という題で、日本企業の「定年」と「初任給」の問題について、数回にわたり考えてみたい。
まずは「定年」についてである。いま流行のAIに「日本の定年制は?」と聞いてみると、「日本の定年は法律上は60歳未満の定年は禁止されていて、65歳までの雇用確保が企業の義務、70歳までの就業機会確保を企業の努力目標としている」と答えてくれる。
数年前、このブログで「奈良時代の役人の定年70歳」と題して二回ほど掲載した。AIさんの言うのが正しければ、現在の日本は定年に関しては、奈良時代に戻ろうとしているかのようだ。大化改新や奈良時代の定年については、後半でもう一度簡単に振り返ってみたい。
まず最初に、明治時代以降、明治・大正・昭和から現在まで続いている「大企業の定年制度」について、どのような理由でこのように定められたのか考えてみたい。
数年前には「54・5歳で役職定年になります。その後は給与が大幅に下がるので、今の給与がキープできる会社があれば転職したい」とおっしゃる方が少なからずおられた。この種の転職希望者はこの1、2年減っている気がする。企業が役職定年を伸ばしているのか、もしくはその年齢に達し役職定年になった場合でも給与の減額を少なくしているのか、いずれかであろう。若者の人口が減っているので、高齢者に働いてもらわないと困るのかも知れない。
それでも、今なお、この役職定年という制度は、いくつもの大企業では残っている。日本の大企業はなぜ、こういう制度を定めたのであろうか。
私は学生時代から戦記物の本を読むのが好きで、かなり多く読んできた。それらの知識から、「明治以降の大企業の定めた定年・役職定年は、旧陸軍・海軍の定年制を真似したのではあるまいか」と以前から考えている。明治・大正期だけでなく昭和になってからも、大企業の場合「役員を除く、職員の定年そのものが54歳・55歳」というケースが多かった。
「陸海軍現役将校定限年齢表」というものが手元にある。明治・大正・昭和とも大きくは違わない。昭和期の表には次のようにある。
大佐 陸軍55歳 海軍54歳
少将 陸軍58歳 海軍58歳
中将 陸軍62歳 海軍62歳
大将 陸軍65歳 海軍65歳
ここでは「大佐」という地位に焦点を当てて定年について考えてみたい。というのは、陸軍士官学校や海軍兵学校を卒業した若手将校たちが、立身出世の一つの頂点と考えていたのがこの大佐のポジションであったからだ。もちろん上位5パーセントほどの優秀な将校は陸軍大学校・海軍大学校に進み、将官を目指した。しかしこの将官というものは能力以上に運の部分が大きく、「大佐まで昇進できれば、まずは成功」というのが陸士・海兵を卒業した若手将校のほぼ共通した認識であった。
大佐の位階(いかい)は「従五位・じゅごい」だから、国家の定める社会的地位は県知事と同格である。この位階というものは、天皇と本人との距離を示す。陸軍なら三千人の将兵を指揮する聯隊長であり、海軍なら巡洋艦・戦艦などの大型軍艦の艦長、もしくは航空隊の司令で千五百人から三千人の将兵を指揮した。中央官庁に勤務する大佐は、陸海軍共に「課長」で、極めて大きな権限を持っていた。
給与は昭和期であれば、月額370円・年額4400円で別に賞与が出た。戦地勤務の時は別に戦地手当てが出た。べらぼうに高いとはいえないが、定年まで勤務すれば子供に大学教育を受けさせ、貸家の2、3軒を持つことができた。それに加えて軍人恩給が相当高額であったから、家族を含めた自身の生活には困らなかった。もっとも、太平洋戦争の敗北により軍人恩給の支給停止とインフレによって、かつての職業軍人の生活が困窮したのは事実である。
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