2021年7月5日月曜日

(1)明るくほがらかな人

 男性も女性も、明るくほがらかな人が良い。そのような人が成功している。そういう人柄だから成功したのか、成功したから明るくほがらかになったのか、よくわからない。おそらくその両方であろう。日本史でいえば豊臣秀吉・伊藤博文がこのタイプの人として浮ぶ。

人間というものは「快」を好み「不快」を好まない動物である。すなわち、自分に対して快を与えてくれる(くれそうな)人に魅力を感じ、近寄ってゆこうとする。不快を与える人から遠ざかろうとする。明るくほがらかな人は、相手に快を与える。快を与えられたら、その人に対して魅力を感じ好意を抱く。好意を持たれたら仕事はもちろん、すべての人間関係はスムーズに進む。外資系金融会社にかぎらない。どの会社においてもまったく同じである。


別に無理して、多弁でニコニコする必要はない。普通で良い。普通に振る舞い、相手に好意を抱いてもらうには、明るくほがらかなことは、とても重要な美点である。日本の一流大学を卒業し、米国の有名大学でMBAを取り英語上級だとしても、陰気で人に不快感を与える人は、外資金融会社においても成功しない、と断言して良い。

誤解を恐れずに言えば、男性も女性も、見た目が良い人のほうが悪い人よりも成功の確率がはるかに高い。相手に快を与えるからである。これはかならずしもハンサムであり美人であるという意味ではない。

顔だけではない。「立ち振る舞い」という言葉がある。「立居振舞(たちいふるまい)」ともいう。広辞苑には、「立ったりすわったりする動作。挙動」とある。言葉の発し方、笑いかた、お茶の飲み方などを含めてこの言葉を使っても良い。このほんのちょっとした立居振舞の中に、人間としての気品、重厚さ、軽薄さがかならず出る。

「人間は四十歳になったら自分の顔に責任を持たねばならない」と言ったのはリンカーンだそうだ。この言葉は真実だと思う。明るくほがらかに、人に親切にして、前向きに努力している人は、かならず魅力ある顔になってくる。

顔は看板である。ずるい人はずるそうな顔をしている。親切な人は親切そうな顔をしている。ほんの少しのおしゃべり、歩き方、食事の仕方などで、その人の生きてきた何十年かの人生がどのようなものであったか、なんとなく察することができる。これは別に私にかぎったことではあるまい。それなりに人生を歩んできて、数多くの人に会ってきた人ならば、このような推察は可能であろう。

一時間の面談で、その人物のスキル・経歴・人生観・今後の希望などを聞き、その人物の全体像を掴もうとヘッドハンターは努力する。そうしながら、最初の1-2分で得た直観によるその人の人柄に誤りがなかったかを再確認する。

私は占い師ではないし、人相学の大家でもない。百発百中とはいかない。間違いもある。でも近頃は大きな誤りはないような気がする。

「明るくほがらかな人」は相手に快を与える。素晴らしい美点といって良い。







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