2021年7月26日月曜日

(4)決断力のある人

 この仕事をしていて、高学歴で判断力もありそうな人なのに、決断できない人に出会う。

立派な会社から良い条件のオファーレターをもらいながら、もっと良い条件の会社はないだろうか、とキョロキョロする人である。嫌だから辞退します、というのは立派な決断だ。それはそれで良い。断わりもせず、それを自分の手に握りながら、もっと条件の良い会社はないか、とウロウロする人がいる。このタイプの人は、不思議なことに多くは貧乏くじを引く。この決断力というものは、その人に備わっている一つの能力であると思う。

私などが良かれと思い、誠意を持ってアドバイスをしても、決して耳を傾けてはくれない。結婚然り、転職然り、病気で手術をする時などもそうであろう。これで良いのか。もっと良い相手が、もっと良い会社が、もっと良い病院があるのではないか、、、、。

人の心は千々に乱れる。当然でああろう。慎重であることは大切である。ただここで、あまりに慎重すぎて、時間をかけすぎて決断を遅らせると、良い結果にならない。決断できないということは、自分自身を大切にしすぎているのかも知れない。自分を大切にすることは良いことである。しかし、「あまりにも自分を大切にしすぎる人は」、もしかしたら、幸せになりにくい人なのかも知れない。


アンドリュー・カーネギーの15歳の時の転職の話をしたい。

13歳の時、貧困から逃れるため、両親・弟とともにスコットランドからアメリカに移民した。鉄鋼王として財を成し、カーネギーホールやカーネギー・メロン大学など、寄付・慈善事業でその富を社会に還元した人である。家計を助けるために13歳の時から働いていた。不健康な環境の地下室で、蒸気機関の釜焚きの仕事を歯をくいしばって頑張っていた。

少し長いが、彼の自伝の一部を引用する。

私はつらい仕事をしていたが、希望を高くもって、事情は変わるであろうと楽観していた。ある日、その機会がめぐってきた。ある夜、仕事から帰って来ると、市の電信局の局長のブルックスさんが、ホーガン叔父に、電報配達夫になる良い少年を知らないか、と問われたのだという。二人はチェスの仲間だった。

私は河を渡ってピッツバーグ市へ行き、ブルックスさんと会うことになった。父は私と一緒に行くといってくれたが、電信局の入り口で、私は、父に外で待っていてくれと頼んだ。

この面接は成功であった。私は慎重に最初からピッツバーグ市を知らないこと、しかし、できるだけ早く学ぶつもりであることを話し、同時に自分としては、とにかくやってみたいなど、つつましやかに話した。ブルックスさんは、いつから仕事にかかれるかと聞いた。そこで、私はもしご希望なら、今からすぐ始めることができると答えた。

私はすぐ階下に降りていき、町角に走って、父に万事うまくいったのを告げた。今日は仕事をして帰りますと伝え、私が採用されたことを母に、早く知らせてくれるように頼んだ。このようにして1850年に、私は本格的に人生の第一歩に旅立ったのであった。1週2ドルで、暗い地下室で石炭の塵でまっくろになっていた私が、急に天国に引き上げられたのである。

この場面を回顧して、私の答えは、青年たちの参考になるのではないかと思う。機会をその場で捉えないのはまちがいである。この地位は私にあたえられた。しかし、なにが起こるかもしれない。たとえば、誰かほかの少年が現れるかもしれない。私は職を与えられたのであるから、できればすぐその仕事にかかりたいと申し出したのである。


私はこの箇所を読むたびに、涙ぐみそうになる。15歳の少年が、よくぞ言ったと思う。学歴も職歴もない貧乏な少年が、仕事が欲しいのでそう答えたまでだ、と当たり前のことと思う人がいるかも知れない。私はけっしてそうは思わない。これだけの決断を即座にできる少年はめったにいるものではない。カーネギーの成功の秘訣をここに見る思いがする。








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