2021年8月16日月曜日

(7)勇気ある人

 この「勇気」という言葉の定義はむずかしい。

4節の「決断力」に似ているが、違う気がする。6節の「侠気」とも少し異なるように思える。

同時にこの「勇気」というものが、先天的にその人に備わっている資質なのか、後日の本人の努力で身に着くものなのか、そのあたりのことが、いまなおよくわからない。

広辞苑には、「いさましい意気。物に恐れない気概」とある。わかったような気もするが、なんだかよくわからない。ただ、成功している人物の多くが、勇気ある人だとは感じる。


そういえば子供の頃、広島県の我々の田舎では「肝試し」というものがあった。小学校の一年生になると、村のそれぞれの集落に子供会があり、五年生、六年生のお兄さん連中がそれを仕切っていた。夏場になると「肝試し」をやる。村はずれの墓地にリンゴとかお菓子を前もって置いておく。小さな懐中電灯を持たされて、「一人で行って、取って来い」と先輩たちは一年生に命じる。途中の林の中に上級生の1-2人が隠れていて、ガサガサと小枝を揺らして一年生を怖がらせる。同級生の一人が「うちのあんちゃんが途中の藪に隠れている」とこっそり教えてくれた。だから藪の前だけは怖くはなかった。

怖いながらも頑張ってそれを持ち帰ると、「良くやった」と子供会の大将は褒めてくれた。

「肝試し」という言葉からして、昔の人はこの「勇気」というものは、頭とか胸(心)に存在するのではなく、腹の中(肝)にあるものと思っていたらしい。

この肝試しは、別に私の村の先輩たちが発明したものではないと、後日知った。幕末の薩摩藩の「若衆組」の話を本で読んでいて、昔から同じようなことを、日本全国の村々で行っていたことを知った。西郷隆盛や大久保利通はこの若衆組のリーダーであったようだ。これらから考えると、昔から「弱虫でも努力と鍛錬によって勇気は養われる」と日本人は考えていたように思える。

子供会の肝試しで、リンゴを持ち帰った私は、六年生の大将に褒めてもらった。ただ、私が勇気ある人間になれたかどうか、疑わしい。

自分自身を省みて、多少決断力はあるように思う。だが勇気となると自信がない。自己分析すると、自分は小心者で臆病な気質の気がする。かならずしも「成功した人物」になれていない理由が、この勇気の無さではあるまいか、と近頃ひそかに思っている。

勇気の無い人に「勇気を出しなさい」と言っても、なかなか勇気は湧いてこない。ただ、私が今までに観察してきた「成功した人物」には皆、勇気がある気がする。一流大学を卒業しても、いくら頭が良くても、英語がうまくても、人柄が優しくても、勇気の無い人は成功していないように思える。


しからば、自分の今後の課題は、勇気ある人間になることだ。しかし、この年になって、夜中に一人で青山墓地を散歩しても、あまり怖くはない。神経が鈍感になっているからだ。それを行なっても勇気ある人間にはなれそうにない。

それでは、どのように努力すれば自分は勇気ある人間になれるのか。これが現在の私の重要課題である。どう努力すれば良いのか。それを自問している。








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