2023年3月6日月曜日

張騫とシルクロード(2)


 シルクロードのものがたり(8)

張騫の活躍については、できるだけ司馬遷の「史記・大苑(だいえん)列伝」から直接引用して紹介したい。ただ、これをまとめるにあたり、長澤和俊先生の著書「張騫とシルクロード」をずいぶん参考にさせていただいた。

私は学生時代から「史記列伝」が好きで、おもだった人物の列伝はだいたい読んでいる。大好きな「屈原」、「魯仲連」、「東陵侯召平」、「季布」の箇所は、ノートに写して大声で読んでいた時期があるので、これらの人々は今でも身近な「お友達」のような気がする。

このように、「史記列伝」をある程度読んでいると思っていたのだが、張騫については見落としていた。現代の学者や作家の本を読んでいて、いくつかの箇所に「司馬遷の史記列伝によれば」と張騫のことを紹介している。「見落としていたのかな?」と手元にある「史記列伝」・野口定男訳を、改めてひも解いてみた。やはり見落としていた。

「大苑(だいえん)列伝」の8割が張騫の伝記であることを最近になって知った。大苑というのは地名なので見落としていたのだ。

考えてみれば張騫は司馬遷より20-30歳年長で、漢帝国の英雄であった。武帝が張騫に与えた「博望公(はくぼうこう)」という称号は、現在の日本でいえば国民栄誉賞くらいの価値があったかと思う。後世、中国から外国に使いする者は皆、この「博望公」を名乗ったというから、当時の中国における張騫の名声がうかがい知れる。

司馬遷は、自分は張騫に会ったとは史記の中では語っていない。しかし、漢帝国のお抱え歴史家の家系に生まれた者として、司馬遷は張騫に直接面談して取材して、この「大苑列伝」を書いたに違いあるまい、と私は想像している。


「史記」や「漢書」を読んでいて閉口するのは、西域の国々の名前が数多く漢字で登場することである。鳥孫・大苑・康居・大夏・安息・身毒などなど、ほかにも数多く漢字の国名が登場するのでわかりにくい。身毒以外のこれらの国々には遊牧民族が多いので、一か所に定住せず移動しながら生活している。なおかつ、数十年程度で、これらの国の勢力が拡大したり縮小したりしているので、始末が悪い。

ここでは「だいたいの場所」として現在の国名でご紹介したい。専門家の方から見れば、私の認識は少々雑かもしれない。もし誤りがあればご指摘いただきたい。

おおざっぱに、私は次のように理解している。「大苑」とは天山山脈の北から西にあたる。カザフスタン南部・キルギスあたり。「康居」とは現在のタシケントあたり。「大夏」とはアフガニスタン。「安息」とはイラン北部。「身毒」とはインドである。張騫は大夏(アフガニスタン)で聞いた話として、「条枝」についても武帝に報告している。これは現在のシリア・レバノンあたりにあった国のようだ。その北西には「ローマ」という国があることまで報告している。

司馬遷の「史記大苑列伝」を丁寧に読んでいて、それぞれの国々に関する位置関係を含めてその情報がとても正確なことに驚く。張騫の武帝への報告が正確だったこともあろうが、司馬遷が張騫から直接聞き取り調査したのは間違いないと思っている。

次回から、司馬遷の書いたものを直接引用しながら、張騫の歩いたシルクロードのルートを探ってみたい。


ウズベキスタンの西瓜とハミ瓜 辻道雄氏提供









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