2023年5月15日月曜日

シルクロードを旅した果物と野菜

 シルクロードのものがたり(17)

陶淵明が生きていた4世紀(西晋)の中国の「植物志」には、「石榴(ざくろ)・葡萄(ぶどう)・胡桃(くるみ)は張騫が大夏に使いして持ち帰った」と書かれているという。

明の時代(1596年発刊)の「本草綱目(ほんそうこうもく)」には、上記の果物に加えて「胡瓜(きうり)・胡豆(そらまめ)・胡麻(ごま)などの野菜も張騫が西域から漢に持ち帰った」と書かれている。

この「本草綱目」という書物は、当時の中国のベストセラーであったらしい。刊行から数年のうちに日本に伝来し、林羅山が徳川家康に献上したと記録にある。しかし、これらの果物・野菜の種子をすべて張騫が西域から持ち帰った、という説には無理がある。

大苑からの帰途の張騫は、すでに紹介したように匈奴に再び捕らえられ、内紛に乗じて命からがらゴビ砂漠を経由して逃げ帰ってきた。植物の種子を持ち帰る余裕はなかったと思う。張騫のたどったルートを、それ以降おびただしい数の漢の兵士や商人たちが往来した。何十年、何百年をかけて、これらの果物と野菜の種子が中国に運ばれたと考えられる。これらが中国大陸から、日本列島に入ってきたに違いない。


ラクダや馬の背に乗って、東方に旅したこれらの果物・野菜の種子は、当然のことながら西に向かっても旅をした。「本草綱目」に記述された果物・野菜だけではない。リンゴ・西瓜・大根・ほうれん草・ニンジン・玉ねぎ・ニンニクなども、中央アジア・西アジアあたりを故郷として、シルクロードを東に西にと旅をしたのである。このうち、西瓜の原産地はアフリカである。エジプトを経由してシルクロードを経由して中国に入った。

東方に旅する間に大きくなり、西方に旅する間に小さくなった野菜がある。大根だ。逆に東方に旅する間に小さくなり、西方に旅する間に大きくなった果物がある。リンゴである。

我々日本人が現在食べている西域を原産地とする、これらの植物のすべてが、東方(すなわち中国経由)ルートで入ってきたかというと、かならずしもそうではない。ニンジン・玉ねぎはシルクロードを西に旅をして、欧州大陸で重要視され、そのあと船に乗ってアメリカ大陸に渡り、アメリカを経由して日本に入っている。

「姫林檎」のように小さくなって観賞用になった林檎は、古い時代(おそらく平安時代)に中国経由で入ってきたが、大きな果実の「アップル」はアメリカ経由で明治になって日本に入ってきた。

ほうれん草は、古い時代に中国経由で入った葉っぱのとがった「日本ほうれん草」と葉っぱに丸みのある「西洋ほうれん草」の二種類が現在日本で栽培されている。私は「ほうれん草作りの名人」と郷里の仲間から言われている。両方のほうれん草を作っているが、「西洋ほうれん草」のほうが丈夫で作りやすい。


私は中学生の頃から、この果物・野菜の原産地がどこか、いつの時代に日本に入ってきたかということに強い興味を持ってきた。中学校時代の恩師の野島登先生が、力こぶを入れてこれらのことを教えてくださったからだと思う。受験勉強には役に立たなかったが、この知識は、自分の人生を豊かにしてくれたような気がする。

果物と野菜の原産地を知っておくと役に立つことが二つある。一つは、これらを栽培する時、果物・野菜に適した環境を作るヒントになる。この25年間私は郷里広島県の農園で野菜作りをしているが、原産地が乾燥地か多湿地かを知っているだけで、果物・野菜の出来に格段の差がつく。

今一つ、お客様や知人と夕食をする際に、この知識が役に立つ。食事のときの話題としてあたりさわりがなく、多くの方が興味を持って耳を傾けてくださる。英語の下手な私が外国人と食事をしたとき、下手な英語をごまかして、これらの「うんちく」で座が盛り上がったことが何度かある。

次回から、これらの果物・野菜の原産地や渡来のルートについての「うんちく」をご披露したい。











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