シルクロードのものがたり(18)
石榴(ざくろ)
張騫が西域から漢に持ち帰った果物として、中国の古書の筆頭に「石榴」の名が見える。よって、この「ざくろ」に敬意を表してこの果物からご紹介したい。
子供の頃、我が家に一本のザクロの樹があった。時々食べたがそれほど旨いものとは思わなかった。現在の日本人にとって、ザクロはそれほど存在感のある果物とは思わない。
各人の好みにもよるだろうが、「葡萄」、「りんご」は相撲でいえば大関・関脇クラスに格付けされると思う。「みかん」と「柿」が横綱だと私は考えているが、あるいは「葡萄」・「りんご」を横綱に押す人がいるかもしれない。多少えこひいきをしたとしても、ザクロを小結に押す人はおるまい。いいとこ前頭十枚目以下、多くの人は十両と格付すると思う。
2023年の5月連休に、郷里の広島県に農作業で帰った。その時、テレビで、現在日本で栽培している果物の生産高で、1位がみかん、2位りんご、3位柿、4位梨、5位葡萄と紹介されていた。そうすると、現在の日本では、りんごは横綱、葡萄は大関か関脇に格付けされていると考える。
ダミアン・ストーンというオーストラリア女性の著書「ザクロの歴史」を読んでみると、西アジア・西欧においては、現在でも小結・関脇クラスの存在感ある果物らしい。この本を読み進めてみると、古代のエジプト・メソポタミア・ペルシャ・ギリシャ・ローマにおいては、関脇・大関、ひょっとしたら横綱クラスの果物だったことがわかる。
理由の一つは、多くの種子が子孫繁栄(多産)のイメージと結びついたと考えられる。甘い果汁が乾燥地帯の人々には美味しく感じられた。どのような栄養があるのか知らないが「精力剤」という記述も多く見られる。同時に赤い花の美しさを愛でた記述も多い。
古代から中世・近世にかけて、これらの地域にはザクロをモチーフにした、おびただしい数の石像・陶器・木版画・絵画が残されている。
「ザクロの茂みから声が聞こえてくる。私の実は女主人の歯のように輝き、果実は女主人の胸のように丸い形をしている。私は彼女のお気に入りの、果樹園で最も美しい樹木である」と、BC12世紀のエジプトのパピルスに書かれている、とストーン女史は紹介している。
「ザクロは人類にとって最古の食品の一つであり、原産地はイランとトルクメニスタンの国境にあるコぺトダグ山脈あたりと考えられている。栽培が開始されたのはBC1万年頃の新石器時代と思われる」ともストーン女史は言う。
イランの地図を見ると、イランの西側に、北西から南東につらなるザグロス(Zagros)山脈という大きな山脈が見える。張騫がこの地方を旅した2100年前、このザグロス山脈一帯でこの果物がたくさん栽培されていたらしい。「これは、ザグロと言うんだよ」とアフガニスタン人が漢人に教えてくれた。よって、漢の人々は「石榴」と書いて、この果物を「ザグロ」と読ませたという説もある。
私のような素人には、この話に納得できる。
ストーン女史は、この本で、「ザクロ博士」の異名を持つ、ソビエト連邦時代の科学者(トルクメニスタン在住)グレゴリー・レビン博士を紹介している。この博士はザクロに惚れ込んでいた。「ザクロは素晴らしい滋養強壮薬」だと力説している。当時ソビエト連邦は、宇宙飛行士・潜水艦乗組員・空軍パイロットなどの健康維持にこのザクロを積極的に処方させた。世界初のソ連の人工衛星には猿が乗せられた。この猿にザクロのエキスが大量に投与されたというから、人間第一号のガガーリン少佐も、嫌になるくらい大量のザクロを食べさされたに違いない。
中国経由で日本にザクロが入ってきたのは、奈良・平安時代と思われる。12世紀に描かれた「孔雀明王・くじゃくみょうおう」は胸の前にザクロを持っている。孔雀明王は密教で尊格のある明王の一つで、この絵は高野山霊宝館にある。精力絶倫であった弘法大師・空海もきっと石榴を食べたのであろう。
ウズベキスタンのザクロ 辻道雄氏提供 |
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