これも20年以上前に読んだ本の中にあった話である。
こちらはノートに写してなく私の記憶だけが頼りなので、いささかおぼつかないが、次のような話であった。
主人公の名前は、仮に山田五郎さんとする。
何人かのお兄さんがいて、本人は当時24・5歳だった。
国内にあった海軍航空隊の整備兵曹長で終戦となり、8月下旬には郷里に復員していた。
海軍の兵曹長と言う位は少尉の下に位置し、かなり偉い人である。
20歳で召集され兵役が終わった後も、故郷に帰っても良い仕事がない場合、海軍に就職する形で引き続き勤務する人もかなりいた。これらの人が兵曹長にまで昇進するのは、平時では早くても15年はかかる。すなわち35・6歳で兵曹長になる。
五郎さんは甲飛か乙飛か予科練の出身で、普通の水兵さん出身より昇進はずいぶん早い。
それでも、24・5歳で兵曹長になるのは、戦時ということもあるが、元々優秀な人だったのであろう。
それゆえに、バリバリの軍人気質で、戦争に負けたことが悔しくてたまらない。
「村の人たちに合わす顔がない」と、日中は自分の部屋にこもったきりで外には出てこない。
夜になると、時おり人目を避けて散歩していた。
実家は村の素封家で、父親はすでに隠退していたが戦前は村長をやり、10歳年長の長兄は村役場で助役をしていた。父も兄も親切な人柄で村人たちから慕われていた。
「戦争が終わったというのに、うちの五郎には困ったものだ。このままじゃ身体をこわしてしまう。みなさん五郎に声をかけて、時には外に連れ出してやってください」と、お願いしていた。
10月になると稲刈りがはじまる。
ある日、一人のおばさんが、「五郎さん、五郎さん!」と戸をたたく。
「脱穀機が動かんのじゃ、なおしてくれんかのう。五郎さんは零戦のエンジンの修理をしとった海軍航空隊の偉いさんじゃろう。脱穀機の修理なぞわけもなかろう」
五郎さんはしぶしぶと家の外に出る。
ひと月ぶりの太陽がまぶしい。
田圃のわきに置かれた脱穀機の前に立つ五郎さんを、5・6人のおじさん・おばさん連中が頼もしそうに見つめる。
気になる2・3箇所を点検して油をさし、エンジンをまわしてみるが動かない。
このままでは、海軍航空隊の元整備兵曹長として男が立たない。五郎さんは
脱穀機のエンジンをばらし始める。30分ほどかけて全部をバラバラにして、汚れを取り油をさしてまた組み立てる。これで大丈夫と、エンジンをかけようとするが、ウンともスンとも動かない。
日も暮れ始めてきた。
その時、村役場での仕事を終えた長兄が帰ってきた。
「どうしたんじゃ?」と道から声をかける。
「かくかく、しかじかです」と村人の一人が説明している。
長兄はそのまま乾いた田圃に降りてきた。
脱穀機の前にかがんで、2・3箇所をいじくった長兄はエンジンを回した。
トン・トン・トンと快調な音を立てて脱穀機のエンジンは動いた。
「海軍航空隊の整備兵曹長さまがこのザマじゃ、日本は戦(いくさ)に敗けるはずだよなあ」
と長兄が言った。
数人の村人は、「あっはっはっ!!」と大声で笑った。
五郎さんもそれにつられて、「ふっふっふ!」と小声で笑った。
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