2019年9月4日水曜日

札幌から来たヘッドハンター(2)

黒田清隆はこの男・堀誠太郎に、「なんとしてでも生徒を集めろ。開拓使には金がある。金にものを言わせてでも生徒を獲得せよ」と命じた。

当時の開拓使の予算は国家予算の1割に近く、陸軍省・海軍省よりも多かった。新政府はただならぬ決意で、ロシアの北海道侵入を防ごうとしていたのである。

相手は陸軍中将兼参議である。反論はしなかったが、「何を言うか!人は金だけでは動かぬ。ましてサムライの子は」と堀は腹の中で笑った。この時、黒田37歳・堀32歳である。

黒田が薩摩武士、西郷隆盛・大久保利通の直系の子分なら、堀は長州男児だ。久坂玄瑞と供に京都御所に突入した「禁門の変」の生き残りだ。その後、長州藩の海軍に入っているから、いわば久坂玄瑞・高杉晋作の子分にあたる。ただ者ではない。
予備門の生徒たちから見ても、ボルテージ(voltage)の高い魅力あふれる硬骨漢であった。

堀はまず、ロシアが北海道に手を伸ばそうとしていることへの危機感を煽った。このままでは日本国は危うい。屯田兵だけでは北海道は守りきれない。頭脳明晰な「憂国の志士」が欲しい。
農業・漁業・林業を含めて殖産興業を大いに起こし、北海道を豊かな土地に変えて日本人の人口を増やさねばならない。諸君は「屍(しかばね)を北辺にさらす」との気概を持って札幌に来てほしい。こう説いて、少年たちの冒険心・義侠心に火をつけた。

そのあとで、実利を説いた。

札幌農学校は農業の専門学校ではない。4年制の単科大学である。英文では、「Sapporo Agricultural College」という。卒業すれば農学士の学位を与える。その後開拓使が高給(月30円)で採用し、成績優秀者はアメリカの一流大学に官費で留学させる。(この月給30円は、明治13年の東京大学卒業者の初任給18円に比べると破格である)

札幌農学校の官費制度が魅力に富むことは、前年の先輩たちから聞いて、生徒たちは皆知っていた。すなわち、宿舎・食費・衣服・履物・寝具・学用品・日用品・そして小遣銭に至るまで、すべてを学校が負担した。金額でいうと1人月13円になる。もちろん授業料は無料である。

明治10年代初め、東京大学の給費性への支給月学は5円であり、巡査や小学校教員の初任給は5円前後であった。

この堀誠太郎の1時間の演説で、内村鑑三・新渡戸稲造・宮部金吾など11名の少年は北海道に渡った。









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