日光山を下って、宇都宮市内に向かった。
宇都宮二荒山(ふたあらやま)神社は、栃木県庁と宇都宮市役所に挟まれた市の中心部にある。というより、県庁と市役所はこの神社を中心として設置されたのだ。
宇都宮駅からバスで神社前に着いたのは、すでに1時をまわっていた。遅めの昼食をとってお参りすることにした。宇都宮といえば餃子が有名だ。地元の人に聞いたら、すぐ近くに数軒の有名店の出店が一堂に会している場所があるという。あてずっぽうに一軒の店に飛び込んだが、とても美味しい餃子だった。
この神社は市街地にあるが、小高い丘の上に神さまが鎮座されており、緑も豊かだ。
懲りないで、ここでもまた神官に聞いてみた。日光二荒山神社との関係である。
「まったく別です。それぞれが独立した神社です。ここがお祀りしている主神は豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)です。相殿神として大物主命(おおものぬしのみこと・大国主命)と事代主命(ことしろぬしのみこと・大国主命の子)をお祀りしています」とおっしゃる。
日光二荒山神社と申し合わせをしているかのようだ。両社とも独立自尊というか、二つの神社の関連性をはっきりと否定された。ただ、その返答があまりにもお役所的で、神官の持つおおらかさがまったく感じられない。「たのむからこれ以上は聞いてくださるな」、といった雰囲気さえ感じられる。「これはおかしいぞ」、と私は思った。二社の神官が本当にそう思っているはずはあるまい。それなりの理由があって、かたくなにそうおっしゃっているような気がした。
群馬県と栃木県は古代は一つの国で、毛野国(けぬのくに)といった。それが分かれて上毛野(かみつけの)・下毛野(しもつけの)となり、国名を二文字に統一した天武天皇の頃、上野(こうず¨け)・下野(しもつけ)という国名になった。このあたりは関東でも特に古墳が多い場所だという。
三代天台座主の慈覚大師・円仁(じかくだいし・えんにん)が下野出身の人、と昔聞いた時は、そんな辺鄙な所の出身の人が、、、と意外な気がしたが、早くから文化の開けた土地だと知り、やっと納得できた。
豊城入彦命は第十代崇神(すじん)天皇の第一皇子であり、実在の人物である。日本武尊の祖父の垂仁(すいにん)天皇の兄であるから、武尊より40-50歳年長であったかと思う。
この人がはじめて東国を治め、上毛野君(かみつけののきみ)・下毛野君(しもつけののきみ)の始祖となった、と「日本書紀」はいう。両豪族はこの地方の国造となり、律令時代に入るとその一族は郡司(ぐんじ)となって影響力を保った。宇都宮の二荒山神社は、この下毛野君がその祖である豊城入彦命を祀った神社である。
那須与一の一件で、武の霊験あらたかなことが天下に知れ渡った故であろうか、中世以降この神社は、源頼朝をはじめとして多くの武将の信仰が厚い。
特筆すべきことは、徳川家康が江戸幕府を開いた直後、この宇都宮二荒山神社に1700石の朱印領を与えていることだ。下総・香取神宮、信濃・諏訪大社、豊前・宇佐神宮などの大社のそれぞれ1000石を凌ぐ石高である。同時に、慶長10年(1605)家康はこの神社に経済援助を与え、社殿の造営を命じている。ただならぬ優遇といえる。
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