「蕭何どの」、召平は笑いながら言う。
「今夜打つべき手はすべて打ちました。他にやることはありません。久しぶりに一献やりませんか? 珍しい肴があるんです」
そういって台所に向かう。瓶(かめ)の中を掻き混ぜているらしい。しばらくしたら、水で洗い包丁で切る音が聞こえる。右手に酒瓶を持ち、左手にその肴を持って蕭何の前に置く。
「一体なんですか、これは?」蕭何は珍しそうにその肴をながめている。白瓜の漬物のようだが、いつもの塩漬や酢漬とは違う。見たことのない不気味な褐色の漬物である。
「旨いのですか?」
「いや。わかりません。幼なじみの李照にもらって食べたのは旨かったですが、自分でつくったのを食べるのは今日がはじめてなのです」。召平は正直に答える。
李照の友人に酒蔵の主人がいる。大量の酒糟(さけかす)を李照にくれた。このあたりの酒は麦でつくる。よってこの酒糟は麦でできたものだ。そのままあぶって食べても旨いし、汁にしても良い。しかし、量が多かったので、ためしに塩漬けにしてある白瓜をこの酒糟で漬けなおしてみた。旨いので召平に少し届けてくれたのである。
「李照の真似をしてみたのです。何回か新しい酒糟に漬けなおしたほうが味が良い、というので三度漬けなおしました」
先に召平が口に入れ、それを見て蕭何は、恐る恐る一片を口に運ぶ。
「旨いものですなあ!」蕭何は感嘆のうなり声をあげる。酒を飲み、この瓜の漬物を食いながら、植えて間もない今年の瓜の成長ぐあいを召平は話す。明日の朝一番で、蕭何には大仕事がある。一刻ほどで、二人のささやかな酒盛りはお開きとする。
帰る段になって、蕭何は何か言いたげにもじもじしている。そして、「それを少々分けてくださらんか」と小声で遠慮げに言う。よほど気に入ったらしい。
「これをつくるにはけっこう手間がかかるのです。つくり方は、長安でも李照と私以外は知りませんからなあ。値段は高いですぞ」。召平は得意顔で言った。
召平が竹の皮に包んでくれた四切れの褐色の漬物を、蕭何は下僕にも渡さず、自分の手にしっかり握りしめて大事そうに持ち帰った。
これは一体どのような漬物だったのか。米糟と麦糟との違いはあるが、後世の日本で発明されたといわれる奈良漬のご先祖様のような味ではなかったか、と筆者は想像している。
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