2020年8月3日月曜日

東陵の瓜(17)

以来、蕭何はひんぱんに召平の荒屋(あばらや)を訪ねてくる。はじめの頃は季布と一緒であったが、一年ほどたって、季布が河東郡(こうとうぐん)の郡守に赴任してからは、下僕だけを連れて一人でやってくる。

瓜の季節が終わり、冬になっても春になってもやってくる。「瓜を買いに来る」という名目なので、冬場には白瓜の塩漬や甘酢漬を土産として持ち帰る。

いつ頃からか、蕭何は身の回りの相談ごとをするようになる。そのうち、政治向きのことも話しだす。蕭何自身、智謀の宰相であるが、思い悩むことも多いのであろう。召平に自分の考えを聞いてもらい、それを再確認したいと思っている様子である。召平は口の堅い知恵ある男だ。直接の利害関係がないのも良い。

それはそれとして、じつは蕭何が召平を訪問する一番の理由はほかにあった。蕭何にとって召平という男と話をすること、それ自体がなによりも楽しかったのだ。召平の持つ老荘的な匂いが好きだったようである。

この蕭何という人は、若いころから老荘を好んだという。戦国時代の末期の混乱の世に少年時代をおくり、その後秦を倒すことに陰謀のかぎりを尽くし、そして漢の大宰相になった男が老荘の徒であったとは。信じがたい思いがする。

この後も中国史は続く。 蕭何のあとの張良・蜀漢の諸葛亮孔明・宋の趙普(ちょうふ)・司馬光、
そして近くは中華人民共和国の周恩来。 中国史はおびただしい数の名宰相を生み出した。
これらの中で史上最高の宰相はだれか?ということになると、現在でもこの蕭何を一番に推す人がもっとも多いらしい。


それから一年ほどして、漢帝国の屋台骨をゆるがしかねない大事件が勃発する。前196年の5月のある日の夜半遅く、なんの前触れもなく蕭何が召平の荒屋を訪ねてくる。訪問の時刻、その顔つきからして、ただごとではないことはすぐに判る。下僕のほかに、一人の信頼できる将校を外で待たせているという。

蕭何は言う。

「長安にいる准陰侯(じゅんいんこう)・韓信が謀反を企らんでいる。数日以内に決行するのはまちがいない。陳豨(ちんき)と通じているふしがある。いかに対処すべきかお知恵を借りたい」

二ヶ月前、劉邦がもっとも信頼していた将軍の陳豨が鉅鹿(きょろく)の地で反乱をおこした。激怒した劉邦は、鎮圧のためみずから将として出陣し、現在は鉅鹿近くの邯鄲(かんたん)にいる。長安から東北東に馬で10日の場所である。

陳豨平定はまだ終わっていない。本来なら、大将軍の韓信がこの征伐軍の総司令官になるのが順当な人事である。ところが韓信は、病気を理由にこれを断った。陳豨は日ごろから韓信を師と仰いでいる。この二人は、いわば直系の親分子分の関係なのだ。なにかの密約ができていることは疑う余地がない。

劉邦と蕭何は、一面では韓信の辞退に胸をなでおろした。二人が連合して長安の都に攻め上るという、最悪の辞退は避けられたからである。このような背景のなかで、劉邦みずから兵を率いて遠征するという、異例の措置がとられたのだ。

召平は目を閉じた。そして考える。







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