2021年8月30日月曜日

別れの時

 ニーチェはしばしば「別れの時」という言葉を使った。彼の超人は一面からいえば幾度か「別れの時」を経過しきたれる孤独寂寥(こどくせきりょう)の人である。私はツァラトゥストラを読むごとに、この「別れの時」という言葉の含蓄にうたれる。

ニーチェ自身もまた「別れの時」を重ねたる悲しき経験を有し、「別れの時」の悲哀と憂愁と温柔と縹渺(ひょうびょう)とに対する微細なる感覚を持っていたに違いない。

概括(がいかつ)せる断言は私のはばかるところであるが、私の心臓(こころ)の囁(ささや)くところを、何らかの論理的反省なしに発言することを許されるならば、「別れの時」の感情はあらゆる真正の進歩と革命とに欠くべからざる主観的反映の一面である。

あらゆる革命と進歩とに深沈の趣を与えて、その真実を立証する唯一の標識である。「別れの時」の悲哀を伴わざる革命と進歩は、虚為か誇張である。


進む者は別れねばならぬ。しかも人が自ら進まんがために別離を告ぐるを要するところは=自らの後に棄て去るを要するところは=かつて自分にとって生命のごとく貴く、恋人のごとくなつかしかったものでなければならぬ。

およそ進歩はただ別るるをあえてし、棄て去るをあえてする点においてのみ可能である。かつて貴く、なつかしかったものに別離を告ぐるにあらざれば、新たに貴く、なつかしきものを享受することはできない。

新たに生命をつかむ者は、過去の生命を殺さねばならぬ。真正(しんせい)に進化する者にどうして「別れの時」の悲哀なきを得よう。

思えばかくのごとくにして、進化する人間の運命は悲し。


阿部次郎の「三太郎の日記」の一節です。










2021年8月23日月曜日

(8)運の良い人

 成功された方々と夕食などをご一緒した時、「自分は運に恵まれていた」とおっしゃる方が多い。「運」とはなんだろうか、と近頃考えている。


日本海海戦の勝利は、世界史に類がないほどの大勝利であった。

「撃沈されたロシアの軍艦は戦艦六、巡洋艦四、海防艦一、駆逐艦四、仮装巡洋艦四、特務艦三。捕獲されたもの戦艦二、海防艦二、駆逐艦一。抑留されたもの病院船二。脱走中に沈んだもの巡洋艦一、駆逐艦一。マニラ湾や上海など中立国に逃げ込み武装解除されたもの巡洋艦三、駆逐艦一、特務艦二。遁走に成功しロシア領に逃げ込んだものはヨットを改装した小型巡洋艦一、駆逐艦二、運送船一。これに対して、わが日本海軍の損害は小型の水雷艇三隻沈没」と記録にある。

この海戦に参加した二人の将校が、両人とも海軍中将に昇進した後、ある晩一献しながら、この海戦のことを語り合った。梨羽時起と佐藤鉄太郎である。

「佐藤、どうしてあんなに勝ったんだろうか」と先輩の梨羽が言う。

「六分どおり運でしょう」と佐藤が答える。

梨羽はうなつ”き、「僕もそう思っている。しかしあとの四分は何だろう」

しばらく考えたあと、「それも運でしょう」と、佐藤は答えた。

梨羽は笑い出して、六分も運、四分も運ならみな運ではないかというと、佐藤は前の六分は本当の運です。しかしあとの四分は人間の力で開いた運です、といった。

秋山真之は聯合艦隊解散の辞でいう。

「神明はただ平素の鍛錬につとめ戦はずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に休んずる者よりただちにこれを奪う。古人曰く、勝って兜の緒を締めよと」

四分の強運というものは、日ごろの鍛錬と努力によって引き寄せることが出来ると、日露戦争の勇者たちは言う。

もしかしたら、六分の本当の運も、棚の下でぼたもちが落ちてくるのを口を開けて待っているようなものではなく、各人の精神・心構えによって引き寄せることができるのではあるまいか、と近頃考えている。


成功した人々を、遠くから秘かに観察していて、「もしかしたら、この人が運が良くなった理由はこれかな」と思うことが二つほどある。正しいかどうかわからない。ただ何人もの成功者に共通している。これら以外にも理由があるのかも知れないが、今は思いつかない。

一つは、「神仏を敬い先祖の供養を大切にする人」である。歴史上の成功者もそうだが、私の身近な成功者にも、これを実行している人が多い。

いま一つは、「人にものを贈るのが好きな人」が幸運を得ているような気がする。

そういえば、「徒然草」に次のような箇所がある。

「よき友三(みつ)あり。一つにはものくるる友。二つには医師(くすし)。三つには知恵ある友なり」 若い頃私はこれを読んだ時、兼好さまのような偉い方が妙なことをいうなあ、と心の中で笑った記憶がある。しかし、今になって考えれば、この言葉は真実かも知れない。


時に饅頭を送ってくれる奇特な友人がいる。その時は嬉しい。もらった饅頭が旨いからというより、自分のことを気にかけてくれている友人の心が嬉しい。自分がそうなのだから、相手もきっとそうだろうと思い、近頃は古い友人に時々饅頭を贈る。そうすると喜んでくれる。相手に喜ばれるとこちらも嬉しくなる。なんだか運が良くなったような気がする。

「運」という字は「はこぶ」と書く。饅頭でなくてもよい。手紙を含めて、相手が幸せを感じる、心がこもったものを運んでいると、もしかしたら「運が良くなる」のかも知れない。









2021年8月16日月曜日

(7)勇気ある人

 この「勇気」という言葉の定義はむずかしい。

4節の「決断力」に似ているが、違う気がする。6節の「侠気」とも少し異なるように思える。

同時にこの「勇気」というものが、先天的にその人に備わっている資質なのか、後日の本人の努力で身に着くものなのか、そのあたりのことが、いまなおよくわからない。

広辞苑には、「いさましい意気。物に恐れない気概」とある。わかったような気もするが、なんだかよくわからない。ただ、成功している人物の多くが、勇気ある人だとは感じる。


そういえば子供の頃、広島県の我々の田舎では「肝試し」というものがあった。小学校の一年生になると、村のそれぞれの集落に子供会があり、五年生、六年生のお兄さん連中がそれを仕切っていた。夏場になると「肝試し」をやる。村はずれの墓地にリンゴとかお菓子を前もって置いておく。小さな懐中電灯を持たされて、「一人で行って、取って来い」と先輩たちは一年生に命じる。途中の林の中に上級生の1-2人が隠れていて、ガサガサと小枝を揺らして一年生を怖がらせる。同級生の一人が「うちのあんちゃんが途中の藪に隠れている」とこっそり教えてくれた。だから藪の前だけは怖くはなかった。

怖いながらも頑張ってそれを持ち帰ると、「良くやった」と子供会の大将は褒めてくれた。

「肝試し」という言葉からして、昔の人はこの「勇気」というものは、頭とか胸(心)に存在するのではなく、腹の中(肝)にあるものと思っていたらしい。

この肝試しは、別に私の村の先輩たちが発明したものではないと、後日知った。幕末の薩摩藩の「若衆組」の話を本で読んでいて、昔から同じようなことを、日本全国の村々で行っていたことを知った。西郷隆盛や大久保利通はこの若衆組のリーダーであったようだ。これらから考えると、昔から「弱虫でも努力と鍛錬によって勇気は養われる」と日本人は考えていたように思える。

子供会の肝試しで、リンゴを持ち帰った私は、六年生の大将に褒めてもらった。ただ、私が勇気ある人間になれたかどうか、疑わしい。

自分自身を省みて、多少決断力はあるように思う。だが勇気となると自信がない。自己分析すると、自分は小心者で臆病な気質の気がする。かならずしも「成功した人物」になれていない理由が、この勇気の無さではあるまいか、と近頃ひそかに思っている。

勇気の無い人に「勇気を出しなさい」と言っても、なかなか勇気は湧いてこない。ただ、私が今までに観察してきた「成功した人物」には皆、勇気がある気がする。一流大学を卒業しても、いくら頭が良くても、英語がうまくても、人柄が優しくても、勇気の無い人は成功していないように思える。


しからば、自分の今後の課題は、勇気ある人間になることだ。しかし、この年になって、夜中に一人で青山墓地を散歩しても、あまり怖くはない。神経が鈍感になっているからだ。それを行なっても勇気ある人間にはなれそうにない。

それでは、どのように努力すれば自分は勇気ある人間になれるのか。これが現在の私の重要課題である。どう努力すれば良いのか。それを自問している。








2021年8月9日月曜日

(6)三分の侠気

 「友に交わるにすべからく三分の侠気を帯ぶべし。人となるに一点の素心を存するを要す」と「菜根譚」に言う。石坂泰三翁は、しばしばこのことを述べておられる。

この「侠気」である。辞書を引くと「おとこぎ」とあるが、男性にかぎった話ではない。自己犠牲の精神ともいえる。自分が損をしてでも、公共のため、正義のため、他人のために、あえて貧乏クジを引くという心意気である。

この気持ちがある人が成功している。そんなに多くなくても良い。いくぶんかの侠気がある人は良い。人間というものは、基本的には自分の利益になることばかりを考えている動物である。「種の保存」という点から考えると、当たり前のことであり、決して悪いことではない。

お金がもっと欲しい。高い地位・権力が欲しい。健康・長寿でありたい。異性にもてたい。賞賛の言葉・名誉が欲しい。人間はだれもがそう思いながら生きている。それで良いのだと思う。私自身まったくその通りの人間である。

そうはいうものの、人間だれしも多かれ少なかれ、この「侠気」の精神を持っているように思える。ゼロの人はいない気がする。0.1パーセントから5パーセントぐらいの開きで、だれもがこの精神を持っていると思う。0.1パーセントの人を見て、あの人は自己中心だ、自分勝手な小物だと世間は言う。5パーセントの人を見て、器量のある人だ、大物だと人々は言う。

思うにこの侠気が5パーセントその人物の中に存在すると、その部分が真空になり、人々はそこに吸い寄せられていくのではなかろうか。


「菜根譚」のいう三分とは、3パーセントではなく30パーセントの意味らしい。

西郷隆盛という人は、もしかしたら本当に、この「三分の侠気」を持っていた人なのかも知れない。それゆえに、幕末から西南戦争に至る戦乱の中で、幾多の英傑がこの人を慕って喜んで死んでいったのであろう。子分千人が親分のためには命がけで突進したという、清水次郎長こと山本長五郎という人も、三分の侠気、のあった人に違いない。

われわれ凡人のとうてい真似できる領域ではない。5パーセントを目指せば良い。それだけの自己犠牲の精神を持っていれば、成功すると思う。

ただ、この「侠気」というものは、他の資質に比べて後日の努力で身につくものではなく、持って生まれた先天的なもののような気がする。

そうでなくとも、幼少の頃、祖父や父親もしくは周辺の人の中にこの「侠」の気質の人がいた場合、自然に身につくもののような気がする。成人したあと、自分の努力では身につきにくい資質のように思える。






2021年8月2日月曜日

(5)親切な人・好意的に物事をみる人

 思いやりの心を持っている人(人の気持ちを察する心のある人)と言っても良い。

外資系金融機関の代表者クラスの中に「善意のかたまり」のような人が時にいる。男性にも女性にもいる。このような人から見ると大概の人が「良い人」に見えるらしい。人材を紹介すると、ほとんどの場合「良い人ですね」と言ってくださる。リップサービスかと思いきや、どうも本心らしい。人の長所を第一に見てしまうのであろう。

このような方が相手だと、逆に私のほうが、候補者選びを厳選しなくては、と慎重になる。もちろんこの人一人がOKだと言っても、採用が決まるわけではない。関連部門の何人かが面接して、OKが出たあとオファーレターが手渡される。このような人をボスに持つと、周りの人々も私と同じような気持ちになるらしい。

「うちの大将は善人だから、だれを見ても良い人に見えるのですよ。だから我々がしっかり目を光らせてないといけないんです」という声なき声が聞こえてくる。

このような善意のかたまりのような人が、生き馬の目を抜くような外資の投資銀行でうまくやっていけるのが、不思議といえば不思議である。でも現実にそのような人を私は何人も知っている。会社の業績も良く、社内の空気も明るい。中国の歴史上の人物だと劉備玄徳、日本史では北条泰時のような仁徳の人なのかも知れない。

逆のケースもある。どのような人材を紹介しても、かならずケチをつける人や会社が時たまある。やれ年齢が、やれ職歴がドンピシャでない。TOEIC850では駄目だ900は欲しい等と、どこかにかならず文句をつける採用側の方がいる。何十人も面接してやっと採用した人材に、短期間で逃げられるのもこのような会社である。入社後もその人の粗探しをするのであろう。働く人が意欲を失うのだと思う。このような会社はおおむね業績が良くない。


候補者にも色々なタイプの人がいる。両極のケースをご紹介しよう。

20年以上前の話である。英語には堪能だがずいぶん疑い深い女性がいた。英文で書かれたオファーレターの中の、ある単語の意味がハッキリせず二つの意味に解釈できる、と彼女は言う。片方の意味だと自分にいちじるしく不利になるのだと言う。このような表現をするこの会社は不誠実だとも言う。私には会社がそんなに悪意を持っているとは思えない。

「どっちだって大きくは変わらないんじゃないですか」との私の返事に失望したらしい。えらく憤慨していた。結局彼女はこの会社に入社しなかった。たしかに外資系企業で働く場合、文書にした契約書は重要ではある。ただ重箱のすみをつつくように、なんとか自分の立場が不利にならないようにと、そんなことばかりを考えている人で、成功した人を私は見たことが無い。

逆のケースもある。25年以上前の話である。その候補者は当時30歳前後の女性だった。大学を卒業して一流の銀行に入社して7-8年の人だった。英国の筋の良い会社が東京に小さなオフィスをオープンした。代表者は英国人男性、もう一人日本人女性が秘書として勤務していた。私の紹介した女性は、営業というか企画というか、フロント系の職種だった。

面接の翌朝、本人から私に電話があった。「昨夜お会いした英国人はとても立派な方でした。来てくださいと言われたので、はい行きますと答えました。先ほど今の会社に辞表を出しました」と言うのだ。こちらがあわててしまった。「ちゃんとオファーレターをもらったのですか?お給料・仕事内容はきちんと決めたのですか?」と聞いた。

「オファーレターは来週くださるそうです。現在の給料を聞かれたので800万円ですと答えました。笑いながら、そうかそうか、と言われたのでそのくらいはくださると思います。早く来て欲しいと言われたので、今日辞表を出しました。そうしないと相手の希望日に出社できないのです」 本人はあっけらかんとして、相手の言うことを全面的に信用している。

この転職は成功であった。翌週もらったオファーレターには基本給100万円アップ、ボーナスは別途、と書かれていた。彼女が言うとおり、この英国人は大変立派な方だった。彼女はこの支店長から強い信頼を得て、のびのびと良い仕事をなされ、良い成績を上げた。


この両極端の話は実話である。別に後者を真似する必要はない。いささか危険である。この二つの中間の常識的なところで行動すれば良いと思う。

ただ、前者より後者のタイプの人のほうが、成功し幸福になる確率ははるかに高い。二万人以上の人々の転職を見ていて、そう断言できる。