シルクロードのものがたり(66)
咸陽で兵馬俑を見学したあと、ふたたびバスで西安市に戻り、西安中心部にある大慈恩寺(だいじおんじ)に向かう。
もとは隋代に建立された寺だが、隋末期の戦乱で焼失したあと、唐の三代皇帝・高宗が母親の文徳皇后を供養するために再建したという。647年のことだ。
玄奘が密出国から16年を経てインドから大量の経典を長安に持ち帰ったのは645年、二代皇帝・太宗の晩年である。日本では大化改新の年だ。当初、玄奘は浩福寺という寺で翻訳事業を開始したが、この事業の拠点は完成したばかりのこの大慈恩寺に移された。その後、高宗の肝いりで、大量のサンスクリット語の経典や仏像を保存するために建てられたのが大雁塔(だいがんとう)である。唐代、この寺の敷地は現在の7倍の広さだったという。
大雁塔は64メートルの高さで、てっぺんまで登れば西安市を一望できるとガイドの高さんは言う。唐代に建立されたものはインド風の丸型の五層の仏塔だったが、明代に現在の姿の四角七層に造り直されたとも教えてくれる。
陸上部のY君とヨット部のS君は共に健脚だ。てっぺんまで登るという。私は足がだるかったので、「二人を下から仰ぎ見ているよ」と言って、木陰にある喫煙所でタバコを吸いながら二人が降りてくるのを待った。それでもこの夜スマホを覗いたら、この日、2万歩あるいていた。
そのあと、近くの青龍寺にバスで移動する。
空海ゆかりの寺である。
空海は師匠の恵果(えか)から、短期間で密教の秘法を伝授された。恵果が何十人もの中国人の高弟子たちを飛び越えて、空海を自分の後継者に決める感動的なものがたりを肌で感じるには、司馬遼太郎の『空海の風景』を読むのが一番早い。805年のことである。
じつは、天台三代座主・円仁(えんにん)も五代座主・円珍(えんちん)も、この青龍寺で学んでいる。円仁がここで学んだのは840年頃で、空海はその5年前に高野山で没している。円珍は四国の讃岐の豪族・佐伯氏の生まれである。空海の甥(おい)、もしくは姪(めい)の息子といわれている。円珍という人は面白い人で、親戚である空海の高野山に赴かず、そのライバル最澄の比叡山に学んでいる。いわば福沢諭吉の甥が慶応にいかないで早稲田で勉強したようなものだ。円珍がここで学んだのは850年ごろである。
円仁・円珍がこの青龍寺に来山したとき、恵果から空海と一緒に教えを受けた中国人僧は、すでに老僧となっていたが、まだ何人もこの寺に残っていた。二人の日本人僧は、空海の伝説的な成功物語を、空海を直接見た青龍寺の中国人の老僧から聞いたにちがいない。
じつはこの青龍寺は千年間近く、廃墟となり地上から消えていた。唐末期から宋代にかけて、中国では仏教は衰退していく。円仁・円珍の入唐のころから廃仏運動のきざしがあり、その後この運動は長く続いた。北宋の元佑元年(西紀1086)以降、この寺は次第に荒廃し、ついに仏閣は地上から消えてしまった。
この青龍寺が再度建立されたのは、じつに、1980年代に入ってからである。仏閣と同時に恵果・空海記念堂が建立され、また空海記念碑が造られた。「これらの費用の多くを、日本の四国の八十八のお寺さんが寄進してくださったのです」と高さんが教えてくれる。高野山金剛峰寺も多額の寄進をしたに違いない。西安市と四国四県は現在でも定期的な交流が行われているそうだ。
このような背景から、青龍寺では日本人にとても親切にしてくださる。我々もお茶をご馳走になり、「参拝弘法大師修行古刹・青龍寺」と書いた御朱印をプレゼントしていただいた。日本で使っている仏閣用の朱印帳を持参していたので、開いてお願いしたら、達筆で「青龍寺」と書いてくださった。こちらには、日本と同じくらい500円程度お礼をした。
両方に「第0番札所」の朱印が押してある。四国八十八ヶ所、第一番札所である阿波・霊山寺(りょうぜんじ)の前の寺という意味らしい。
青龍寺にかぎらず、新疆ウイグル自治区を含め、中国の観光地のあちこちで、唐代の貴婦人の格好をした若い女性に数多く出会った。コスプレというのか。邦貨で二千円程度払うと、唐代貴婦人の衣装を着せて厚化粧をしてくれる。それをボーイフレンドや親たちが嬉しそうにスマホで撮っている。商売人がビジネスで行っているのだが、その背後には、過去の中国の栄光の歴史を国民に認識させたいとの、政府の意図があるようにも感じた。良いことだと思う。
楊貴妃に似た女性がいたら一枚撮ろうとキョロキョロするのだが、なかなか見当たらない。青龍寺を出る直前に、はつらつとした感じの良い若い女性がいたので、あわててスマホのボタンを押した。あとで拡大して見ると、楊貴妃とは少し違うような気がする。ヨット部のS君が撮ったのは、熟女の楊貴妃のようだ。
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| 大慈恩寺の大雁塔 |
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| 青龍寺 |
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| 楊貴妃スタイルのお嬢さん |
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| 恵果から後継者に指名される空海 |
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| 熟女の楊貴妃 |
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| 右が日本からの添乗員のOさん、左が西安でのガイド高さん 中央の二人が長野県から参加の82歳と84歳の女性 お二人の健脚ぶりには恐れ入った |







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