2025年9月24日水曜日

【西安】西大門

シルクロードのものがたり(67)

 西安に2泊して8月25日(月曜)、12時25分発の飛行機で敦煌に向かう予定だ。西安・敦煌・ウルムチは同じホテルに2泊、トルファンと最終日の上海は1泊だ。同じホテルに連泊するのは、何かにつけて便利で好都合だ。手洗いした下着や靴下がよく乾いて気分が良い。

西安の町の花はザクロ、木はアカシアだと聞く。これからしても、ここが乾燥した土地であることがわかる。中心部の人口は800万人、郊外を含めると1300万人というから大きな町だ。地形は地図でわかる通り盆地である。盆地だが海抜400-700メートルで乾燥しているので、東京や上海の蒸し暑さに慣れている我々には、かなり涼しく感じる。

飛行機の出発までには時間があるので、バスで最後の見学地である西大門に向かう。ここがシルクロードへの出発点である。

唐の時代、西域に向かう軍人・役人・商人たちを見送るために、家族や友人は西安から40キロ北西にある咸陽まで同行するのが慣習だったそうだ。歩いていくのは大変だな、と思ったが、旅人の多くは上級の軍人・役人・富豪の商人だったので、家族や友人たちもいわば富裕層である。馬車や馬で移動したようだ。

彼らは咸陽に一泊か二泊して、酒盛りをして旅人を見送る。咸陽は渭城(いじょう)ともいう。王維の「渭城の朝雨 軽塵を浥し」のあの渭城である。この「元二の安西に使いするを送る」の詩のはなしは、以前このブログのどこかで一度紹介している。機会があれば、どこかでもう一度整理・加筆してこれをお話ししたいと考えている。この詩を深く掘り下げて考えると、中国・日本の古代史が理解しやすい気がする。


高さんに案内され、西門の城壁に登る。城壁の上は思っていた以上に幅が広く、しかも頑強に造られている。れんがと石でできた現在のものは、明の洪武帝の頃(1370年頃)に築かれ、その後しばしば修復されているそうだ。

「少し傾いているのがわかりますか?」と高さんが聞く。言われてみれば、そうかなと感じる。雨が少ない土地なので、ほんの少し傾斜をつけておき、降った貴重な雨水を城壁の内側に流れるようにしている。あとで写真を見ると、たしかに右側に排水溝が見える。

守備隊の兵士は何百メートルかごとに複数名配置され、昼夜を問わず見張りを続けたという。兵士が宿泊するための巨大な宿舎が城門の上に造られている。将校の宿舎は近くに別棟がある。次の交代者が来るまで、将兵はこの城門の上で何か月も生活したようである。

西大門の見学を終え、バスで空港に向かう。空港内にある韓国料理店でビビンバとキムチを食べるが、これがとても美味しい。

右側が少し傾いていて排水溝が見える


兵士の宿舎
将校の宿舎は写真の左後にある

西大門 
画 及川政志氏

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