シルクロードのものがたり(73)
旅の5日目、8月27日(水曜日)。この日はバスで2時間30分、新幹線で3時間30分と、6時間かけて敦煌からトルファンに移動する。
午前中はホテルから南西に50キロ、バスで1時間弱の西千仏洞に向かう。莫高窟の西にあるのでこう呼ばれている。同じように石窟の中に仏像・仏画がおさめられている。美術品としての価値は莫高窟に劣るといわれるが、川の流れと豊かな樹木の緑が心を癒してくれる。この西千仏洞からさらに西に30キロ進むと、王維の詩に出てくる「陽関・ようかん・南の玉門関」があるが、我々は行かない。玉門関にくらべると保存状態が良くないと聞いた。
その後、敦煌の町に戻り、夜光杯を売る店に案内される。「葡萄の美酒 夜光の杯」という王翰(おうかん)の有名な詩がある。よって、ここで買うのはワイングラスが似合うのだが、私には自宅でワインを飲む習慣がない。しかも2つセットで数万円と高い。原石から一つ一つ手作りするので、値段が高いらしい。純米酒を冷で飲むとき使おうと思い、ぐいのみを一つ買う。2杯で1合といった感じの大きさで、1万円だ。
このあとバスで2時間30分かけて、敦煌の町中から新幹線の柳園南駅に移動する。ガイドブックには敦煌の人口は14万人とある。2日間この街をウロウロした私の直感では、もう少し人口が多い気がするのだが。
敦煌はオアシスの町なので、町の周辺には畑があり果樹園がある。バスの中から目を凝らして見ていると、一番多いのは葡萄畑だ。「ハミウリ畑は?ハミウリ畑は?」とキョロキョロするのだが、なかなか見つからない。「あれがハミウリ畑だよ」と余さんが言うので、あわててスマホを取り出すが、その時はすでにハミウリ畑は過ぎ去っている。葡萄以外で目に付く農作物は、小麦と綿(わた)だ。樹木で一番多いのはポプラの木だ。あれは桑(くわ)の木です、と余さんが言うのを2度ほど聞いた。
ただし、町中から30分も走ると、あたりの景色はまた砂漠一色に変わる。玄奘が突然あらわれた僧にもらった梨をかじりながら、成都で助けたインド人の病僧がくれたサンスクリット語の般若心経、「ガテー・ガテー・パーラガテー・パーラサンガテー・ボーディ・スヴァーハー」を唱えながら、この砂漠の中を一人で北に向かった姿を想像する。
中国の新幹線は思ったより乗り心地が良い。でも、私が広島県に帰るとき毎月乗る「のぞみ号」に比べるとスピードが遅い気がする。添乗員のOさんがくれた列車案内を見ると、柳園南駅から吐魯番(トルファン)北駅までの乗車時間は3時間33分とある。距離は633キロだから、スピードは時速180キロとなる。のぞみ号は260-270キロだから遅く感じるのは当然だ。中国の新幹線に一抹の不安を持っている私は、あまりスピードを出さないで欲しいと思っていたので、これくらいがちょうどいいやと思った。
柳園南駅と吐魯番(トルファン)北駅のほぼ中間に哈密(ハミ)駅がある。「停車時間はたった2分間ですから、ホームには絶対に降りないでください」とOさんは大声で注意するのだが、そうはいかない。ハミウリの哈密である。同時に、玄奘が苦難の末にたどり着いた場所が、この哈密の近くの伊吾(イゴ)なのだから。ホームに降りて、急いで写真を撮る。
予定通り20時45分にトルファン駅に到着する。荷物を受け取り、駅の改札を出たのはちょうど21時だ。外の夕焼けがとても美しい。
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柳園南駅 |
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新幹線の乗車案内 |
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時刻表 これらは普通列車の寝台車 2日も3日もかかる鉄道の旅だ 広道なので新幹線と同じレールを使っているようだ |
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中国の新幹線 |
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哈密駅 |
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トルファン北駅 |
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夜9時のチャイムと同時にネオンが灯った |
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